まりも日和

先天性腎臓形成不全による重度の腎不全のため、2歳と18日で虹の橋へ旅立った愛犬「まりも」について綴った「まりも物語」(腎不全と闘った642日間の記録)と、2020年8月に我が家にやってきたおてんば娘「ぴりか」の成長記録「ぴりか日記」、ハンドメイドについて書いた「Atelier Marimo」、その他夫婦二人生活の日々の出来事や思うことを綴ったブログです。

ぴりか日記:雨降り散歩で大笑い

雨宿り中のピリカとムック君。仲良しの2匹です。

雨降り散歩で大笑い

こんにちは。

また久しぶりの更新になってしまいました。横浜は昨日から冷たい雨。今日もほとんど日差しはありませんでした。11月は暖かかったのに12月になって急に冬が来てしまいましたね。今月も札幌に行く予定ですが、横浜よりもはるかに寒いであろう札幌の冬に今から警戒しています。

先月末に義父は要介護2の判定が下りて、今月からヘルパーさんが通い始めました。月水金の週3回で毎回1時間半。義父がお昼に食べる食事の調理や掃除をしていただく予定です。

これで一安心ではあるのですが、ヘルパーさんから掃除用具や食材、調味料に関するリクエストがいろいろとあり、ほぼ毎日ネットスーパーで買い物をして買い足す日々が続いています。それに掃除機が故障してしまったり、家電製品が全般的に古いので、おいおい買い替えて行く必要もありそうです。

幼馴染のムック君とお散歩

私が毎日ドタバタと過ごす傍らで、ピリカはいつも通りのマイペースな生活をエンジョイしています。どうしてもピリカのために割ける時間が減ってしまうので、寂しい思いをさせてはいないかと気になっていたのですが、ピリカは元々良い意味で神経が太い子。良くも悪くも飼い主の空気を読まないので、朝はケージから出せと暴れたり、お散歩の時間になると「行こう!行こう!」と大騒ぎしますが、外で一緒にたくさん走り回って、お散歩さえきちんと連れて行けば、概ねご機嫌に過ごしてくれています。

先日、朝のお散歩中に仲良しのムック君に会い、少し遠くの川まで一緒に歩くことになりました。ムック君とピリカは3週間違いで生まれ、お散歩デビューもほぼ一緒。二匹とも暴れん坊でよく走るので、パピーちゃん時代からの大の仲良しです。

そんなムック君と一緒のお散歩ですからピリカも大喜び。ご機嫌な足取りで歩く二匹を見ながら、ムック君のママさんとおしゃべりしつつ川沿いの道まで歩いてきたのですが・・・

いきなりの雨

ワンコ達も飼い主達も和気あいあいで歩いできたのですが、川沿いの道を歩き始めてしばらくすると、急に辺りが薄暗くなり雨が降る気配がしてきました。その日は午後から雨の予報でしたが、まだ10時頃だったので二人とも傘も持っていません。

急いで帰ろうにも家までは片道20分近くかかる上に、川沿いの道では雨宿りする場所もない状況です。急な天気の変化に驚きながら二人で先を急ぎましたが、直ぐにポツポツと雨が降り出し、その後一気に雨脚が強くなってきました。

犬たちは雨にも全く動じず、そのまま散歩を続ける気でいますが、飼い主達はたまったものではありません。とにかくどこか雨をよける場所に行くしかないと、少し先にある歯医者さんの建物まで、私はピリカを抱え、ムックママはムック君を抱えて走りました。

幸い本降りになる前に何とか歯医者さんの建物にたどり着けましたが、犬たちは殆ど濡れなたっかものの、飼い主二人はずぶ濡れです。暖かい日だったので風邪をひく心配はありませんでしたが、お互いの悲惨な姿に二人で大笑いしてしまいました。

一人だと嫌な思い出でも二人いれば笑えるネタになる

結局雨は20分ほどで上がり、無事に帰宅できましたが、帰りの道ではお互いに「一人の時じゃなくてよかった~。」と言いながら大笑いでした。急な雨でずぶ濡れなんて、一人の時だったら悲しくなりますし、帰り道もちょっと恥ずかしいですが、二人いれば笑い話、全ては楽しい思い出、笑えるネタです。

思えばこうして一緒に楽しくお散歩できる人がいるのも、ピリカが運んできてくれたご縁のおかげなのですよね。特に最近の何かと落ち着かない毎日、しかもコロナで思うように友達に会えない日々では、誰かと一緒に大笑いできることがとても貴重に思え、いろいろな意味でピリカがいてくれて良かったと思います。

最近は何かと考え事ばかりしてい時間が多く、ともすれば鬱々とした気分になりがちでしたが、思わぬ通り雨にやられて大笑いしたことで何だか元気になりました。

日本は敗退したけれど

ワールドカップ、日本は敗退してしまいましたね。でも、ドイツとスペインに勝つって、凄いことだと思います。日本代表の皆様にはたくさん感動させて頂きました。

そして日本代表のワールドカップは終わっても、ピリカのサッカー熱は冷めないようで今日も元気にボールを追いかけています。

アタチも日本代表を目指すわ!

ヘルパーさんが入ってやっと落ち着いてきた義実家ですが、生活が軌道に乗るまではもう少し時間がかかりそうです。でもピリカに元気をもらいながら、何とか乗り切っていこうと思います。

まりも物語:まりも30回目の月命日

2020年1月ごろ。キャリーバッグに入るマリモ。

まりも30回目の月命日

こんにちは。

寒くなりましたね。

早いもので、昨日はマリモの30回目の月命日でした。マリモが居た頃の冬はとにかく腎機能を落とさないよう、お腹を冷やさないようにと気をつけていましたが、ピリカは丈夫な子なので何も気にせず毎日一緒に走り回っています。

最近、日中は結構暖かい日もありますが、やはり朝晩は寒くなってきましたよね。ピリカも冬は夏よりは少し長く眠っていてくれますが、それでも朝は6:00ぐらいには起きてケージから出せと騒ぎ始めるので、週末も全く寝坊ができません。

思えばマリモも早起きでした。マリモが居た頃は、朝7:00前に家を出る夫にほぼ毎日お弁当を作っていたので、私は遅くとも5:30には起きていました。だからでしょうか、マリモも早起きで、早い日だと5:00前から起きてケージから出して欲しいとガタガタ音を立てていたものです。

最近、義実家に頻繁に通うようになり、マリモと暮らし始めた当初、飼い主バカ全開で義父にマリモの写真を送っていた日々を思い出すことがあります。まだマリモに重篤な病気があり長時間の移動はできないと判明する前のことですが、私はマリモがある程度成長したら札幌に連れて行くことを楽しみにしていました。

義父は諸々の事情があって犬を飼ったことはありませんが犬は好きな人です。小さなかわいい犬が息子夫婦と一緒に来るのを楽しみにしていたでしょう。しかしその後、マリモの腎不全が発覚して、マリモは札幌を訪ねることはありませんでした。

2019年秋ごろ。週末に寝坊するパパを起こしに行ったマリモ。

ピリカは絶対に連れて行きたい

今年の年末年始はピリカを連れて札幌にと思っていましたが、今の義実家の状態では難しそうです。先日に義実家のゴミはかなり捨てましたが、まだまだ捨てる物もありますし、部分的に壁紙や床を張り替える必要がありそうです。今、業者を調べていますが、どちらにしても年末年始には間に合いません。

ピリカを連れて行かれるのはどんなに急いでも来年の春以降になりそうですが、きっと義父にとっても良い刺激になるに違いありません。

土曜日の朝、パパを起こしにいったピリカ。
ひっくり返ってお腹を撫でてもらい、気持ちよさそうにしています。

私のライフシフト

まだ具体的に何かを進めているわけではないのですが、今後の札幌通いを想定して、私の働き方を少し変えていこうと考え始めました。今は週に3日のパート勤務(一般事務&翻訳)とフリーランスで受注している翻訳、大した売り上げはないですがハンドメイド販売が私の収入源となっていますが、今後はパソコンがあれば横浜でも札幌でもできる翻訳関係の仕事を増やし、パート勤務は辞めようと思っています。

どのみち、夫の定年後に札幌に移住してもそのまま働き続けられる仕事に少しづつ変えていきたいとは思っていましたが、ついつい惰性で同じ生活パターンを続けてしまっていました。しかし今後、いつ札幌に行かなければならないことになるか分からない状態では、今の仕事を続けていくことは難しいでしょう。介護離職というわけではありませんが、いろいろな意味で動きやすい働き方に変えていこうと思うのです。

今回、義父の遠距離介護が始まったことは、私にとってはある意味良い機会だったのだと思います。何かのきっかけがないと、なかなか思い切って生活を変えることはできないので。

もともとマリモをお迎えしたとき、私はフルタイムの仕事を辞めてフリーランスで仕事をしていこうと考えていました。しかしその後マリモの腎不全が発覚すると、医療費がたくさんかかることになり、医療費に充てられる定収入が欲しくて始めたのが今の仕事です。そのため、フリーランスで受ける仕事は副業のような感じになってしまい、積極的に受注を増やすことは全くせず、知人や友人からの依頼や紹介だけやっていました。

しかしまた新しく札幌に通う必要が出てきた今、また根本的にライフスタイルを変える時が来たのではと感じています。本来マリモと送りたかった生活、在宅で仕事をしてピリカの留守番時間を少なくできる生活、そしていざというときにはいつでも札幌に駆け付けられる生活に向けて、思い切って退路を断ち、前に進むときなのではと思うのです。もちろんハンドメイドも地道に続けていきますけれど。

この冬は何かと忙しくなりそうですが、ピリカと遊ぶ時間をできる限りたくさん取りながら、新しい生活スタイルに向けて歩き出そうと思います。

遠距離介護diary:義父の電話(3)

お散歩中のピリカ。この笑顔で義父を癒してほしかったのですが・・・

義父の電話(3)

こんにちは。

だいぶ寒くなってきましたね。前回の記事からかなり間が開いてしまいました。

前回の記事では、義父の電話で札幌に駆けつけて掃除や買物をしたところまで書きましたが、その翌日は日用品を買って義父宅に向かい、義父とのお昼を食べた後はのんびり過ごしました。

そして最終日は午前中にボイラー修理に立ち会った後、横浜に帰ってピリカと4日ぶりに再会!ピリカは大喜びで飛びついてきました。

年齢を感じる・・・

昔から元気で足腰が丈夫なのが取り柄だった私ですが、アラフィフという年齢のせいか、帰って来た後は妙に怠い日々が続いて週3日の通勤とピリカの散歩だけでへとへとになり、ブログの更新もすっかりサボってしまいました(−_−;)。加齢のせいか更年期なのか・・・、私も若くないなと感じてしまいます。

その間も定期的にネットスーパーで買い物をして義父宅に届けたり、お弁当の宅配サービスを手配したりして義父が問題なく生活できるようにはしていましたが、やはり不安なのか義父からは頻繁に電話が掛かってきます。

夫は毎日仕事で帰宅が遅いとわかっているのでしょう。義父はいつも私に電話をかけてきます。色々大変なこともありますが、義父との接点が増えたおかげで新しい発見もありましたし、以前の義父は私と話す時は聞き役に徹していたのですが、最近では若かりし日の話など、自分のことを色々話してくれるようになりました。そんなこともあり、最近になって以前よりも義父との距離が縮まったと感じています。

要介護2

先週は木曜日から札幌に行き、包括センターの職員さん、保健師さん、ケアマネジャーさんと打ち合わせをしました。義父の介護認定は暫定ですが要介護2になるそうです。

義父は助けがあれはまだ自宅生活が送れますし、本人もそれを望んでいます。ですので、まずはヘルパーさんに週に2回程度入ってもらい、週に2回程度デイサービスにも通う予定にしています。

本来であれば数カ所のデイサービスを見学して通う場所を決めたいところですが、現在北海道ではコロナ感染が拡大しており、候補だったデイサービスは軒並みお試し体験は中止されてしまっています。どうするかはケアマネさんと相談中ですが、義父のデイサービス通いは少し先になりそうです。

秋の月寒公園

ゴミ屋敷一歩手前

先週は金曜日から夫も札幌に来て2人で義実家の掃除をしたのですが、義父が書斎にしていた部屋のドアを開けてビックリ!洗濯していない衣類や色々な郵便物などが積み重なっていて殆ど床が見えません。義実家では普段はリビングと義父が寝起きする和室しか使っておらず、私が行った時も水回りとリビング、和室しか掃除していませんでした。

残りの2部屋のうち一つは義父の書斎になっており、もう一部屋は私達が帰省した際に泊まっていた部屋なのですが、私達が使っていた布団もカビ臭くなっていて、床も壁紙も黒ずんでいます。

夫と2人、大慌てでゴミ袋を買いに行き、ゴミを分別して片付けて行きましたが、とても泊まれる状態ではありません。急いで近くのビジネスホテルに部屋を取り、夜まで掃除して夕食後、私達はホテルに泊まることにしました。

以前に義実家に泊まったのはもう5年ほど前のことで、その時は普通にきれいな部屋と布団がありました。しかしその後は義父の申し出でいつも義実家近くのホテルに宿泊するようになり、義実家に滞在するのは主に夕飯を共にする時だけで、リビングと和室以外の部屋に入ることはありませんでした。

これでは年末にピリカを連れてくることはできないでしょう。連れてくるならピリカ用にケージや間仕切りは買うつもりにしていましたが、すばしっこいピリカのこと、目を離した隙にカビやゴミを口にしてしまう可能性がありますし、第一私達が寝る場所がありません。

札幌の中心地にはペット可のホテルは殆どありませんから、まずは義実家で捨てるべき物を全て捨ててカビが生えているように見える部屋の壁や床を張り替えないと、ピリカと一緒に札幌に行くのは難しそうです。

一体いつからあの部屋にゴミが溜まり始めたのか。部屋の状態から言って、少なくとも数年前から溜まり始めたことは間違いないでしょう。私は何故7月と10月に来た時に残る2つの部屋の状態を確認しなかったのか・・・。色々と悔やまれてきます。

先月の電話で駆けつけた時、通帳やキャッシュカードを探そうと私が書斎に入ろうとした時、義父は「そっちには置かない」と遮りました。今にして思えば書斎を見られたくなかったのでしょう。

実際、いつも義父はお財布や家の鍵はリビングに置いていましたし、貴重品を入れる棚は和室にあるので、私もそちらにある可能性は低いと思って中に入ることはありませんでした。リビングと和室をかなり徹底して探しても見つからなかったのだから、義父を説き伏せて残りの部屋も見るべきでした。

私達が掃除をする間、義父は落ち着きなく歩き回り「申し訳ない」と繰り返しました。でも本来、申し訳ないのは私達の方です。義父はしっかりしているからと安心しきっていましたが、やはり老人は老人。もっと細かく気を配るべきでした。

これまでずっと一人で頑張ってきた義父。年末年始をどうするか、家のリフォームをどうするか、介護プランをどう決めるかなどやる事はたくさん有りますが、夫と2人で相談しながら進めて行こうと思います。

遠距離介護diary:義父の電話(2)

昨年11月の月寒公園

義父の電話(2)

こんにちは。

今日は前回の続きです。

marimotan.hatenablog.com

月曜日の夕方に横浜に戻ってきました。木曜日の夜にペットホテルに預けていったピリカとは4日ぶりの再会です。幸いいつも利用しているトリミングサロンだったので、ピリカはスタッフさんにも慣れており、普段から仲良くしているワンコがトリミングに来ていたりして、結構楽しく過ごしていたようでした。

ホテル滞在中の様子は毎日写真いっぱいの日記を書いてお迎えの時に渡してくれますし、
お散歩の様子はインスタグラムに動画を載せてくれます。

22日は掃除と買い物

早朝に家を出て札幌に向かって病院に役所に走り回った21日が終わり、義父と食事を取った後、義父は泊まって行けと言いましたが、私はいつも泊まるビジネスホテルに向かいました。

そして22日は義実家の掃除と食料の買い出しに明け暮れました。義父はちゃんと掃除をする人ですが、やはり年を取ると掃除機をかける程度しかしなくなたので、棚には埃が積もっていますし、床もちょっとベタベタします。私は9時に百均が開くのを待って掃除用具一式を購入し、義父の朝食用のパンと牛乳を持って義実家に向かいました。

義実家に着いたのは10時前でしたが玄関で迎えた義父はまだパジャマ姿。以前のシャキッとしていた義父からは想像しがたい姿です。それでもパンを出すと急いでお湯を沸かしてコーヒーを煎れてくれました。

そして朝食が終わったら私はお掃除開始です。義父には座ってゆっくりしててと何度も言ったのですが、私が掃除をしていると落ち着かないようで、私の周りをぶらぶらと落ち着きなく動き回っていました。

義父は度々私に「○○(夫)は元気にしているか?今度いつこちらに来るんだ?」と話しかけてきました。夫は元気にしていますし、次は11月に二人で来ると何度も答えるのですが、ほんの10分もすればまた「○○は元気か・・」に戻ってしまいます。その日は午前中だけでも5回ぐらいは同じことを話しましたが、義父が夫に会いたがっていることがヒシヒシと伝わってきました。

そして午前中にざっくり掃除を終えると午後は買い出しです。近所には大きなショッピングセンターがあるので、義実家とショッピングセンターを数回往復して日用品や食材を揃えました。

これからは札幌に来る機会は激増するでしょうし、ピリカも連れてくることになります。幸いなことにこのショッピングセンターにはトリミングサロンやペットホテル、ドッグラン、動物病院が全て揃った大型ペットショップが入っています。私は買い物の前にその大型ペットショップにペット用品の品ぞろえを見に行くことにしました。

ざっくり見たところ、幸いにもピリカに必要なものはここで全て揃いそうですし、冬用の犬服もたくさん売っています。ピリカは雪遊びが好きですが、そもそもヨークシャーテリアは寒さにも暑さにも弱い犬種なので防寒着は欠かせません。今回はともかく、来月夫も来た時には二人でピリカ用品も揃えることになるでしょう。

昨年11月札幌。今年も11月に札幌に来ます。

年末年始は札幌で

まだ飛行機は予約していませんが、私達は今年の年末年始は札幌で過ごそうかと思っています。これまではいつも年末年始を外して雪祭りのシーズンに来ていたので、結婚以来、年末年始に帰省したことはありませんでした。しかし今の義父の様子や衰えるスピードを見ていると、あまり考えたくはないですが今年が一緒に年越しをする最後のチャンスかもしれないと思うのです。

特に認知症が進んでいく速度から考えれば、しっかり意思の疎通ができて、会話を楽しめる状態の年末年始は来年以降もやってくるかは分かりません。7月に来た時と比べても症状が進んでいるのは明らかで、既に話の半分はかみ合わなくなっています。

そしてもし年末年始を札幌で過ごすのであれば、もちろんピリカも一緒です。多分私とピリカは夫よりも早く来て、夫は仕事納めが終わったら来ることになるでしょうから、年末年始はピリカとの初めての二人旅になりそうです。ピリカは遂にお爺ちゃんとご対面!元気なピリカはきっと義父にも愛嬌を振りまくでしょうし、義父にも良い刺激になるでしょう。

そんなことを考えながら義実家とショッピングセンターを数回往復して買い物を済ませ、義父と夕飯を食べた後で再びホテルに戻った私は、義父の様子を夫に電話で報告しました。

夫は義父の心配は勿論ですが、コロナ感染以来少し疲れやすくなっている私の体調を心配しており、翌日は義父用の作り置き惣菜づくりで忙殺される予定だった私に、次回行くまでの食事はレトルトでも冷凍食品でもいいから少し休むようにと言いました。

今回は翌々日には帰る予定していましたが、最終日の午前中はボイラー工事に立ちあって、午後には横浜に帰ってピリカを迎えに行かなくてはなりません。確かに疲れを感じ始めていたので、夫の言う通り総菜作りはせずに、翌日の午後はのんびりすることにしました。

次回に続きます。

遠距離介護diary:義父の電話(1)

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義父の電話(1)

こんにちは。

いきなりですが、今、札幌の義実家に来ています。今回も夫は来れず私1人です。もともと来月に夫と2人で義実家を訪ねるつもりでいましたが、急遽私だけ飛んできました。

不自然な電話

19日の夜、普段私に電話などかけてこない義父から電話がありました。何事かと思いましたが、「〇〇(夫の名前)は元気か?」などと話していて特に用事も無さそうな様子。たまには人と話したいのかと思いましたが、それにしても、なんとなくいつもと口調が違っていました。

そして10分ほどで電話を切ったのですが、また30分もしないうちに義父から電話が入りました。しかし、「どうしました?」と聞いても「いや、何でもない。」と繰り返すだけで何も話してはくれません。何かあったのではと思いつつも、とりあえず来月に2人で行くと言ってその日は電話を切りました。

20日の午後

前日の電話が不自然だったので義父のことが気になっていたところ、また義父から電話がありました。しかし、何かあったのかと聞いても相変わらず「いや、何も。」と言うだけなのですが、何故か電話を切ろうとしません。もう一度、来月には夫と2人で行くからと念を押して電話を切りましたが、その後も私が買い物に出ている間に2回も電話が着信していました。

やはりおかしいと思い急いで折り返すと、義父は明らかに混乱し「わけがわからないんだよ。無いんだよ、色々なものが。財布とか、みんな無いんだよ。」と堰を切ったように言い始めました。

私はとりあえずマンションの管理人さんに電話し、義父の様子を見に行ってもらいましたが、義父は「空き巣に入られたみたいだ。財布も通帳も無くなった」と言って、かなり混乱しているということです。

義父のマンションは管理人常駐でオートロック付きですから空き巣が入ったとは思えません。管理人さんもここ数日、住人と宅配以外の人の出入りは無かったと言っていますが、義父は納得しませんでした。

初めて聞く義父の混乱した声に、私は義実家に行くことを決めて夫に連絡しました。しかし問題はピリカです。私は急いでいつものトレーニング教室を始め、何件か預け先を当たり始めました。すると幸いなことにいつもお世話になっているトリミングサロンのペットホテルに空きがあり、その日の夜からピリカを預けることにして、翌日の午前中に着ける便で私は急遽札幌に向かうことになりました。

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長かった21日

お昼ごろに義実家のマンションに着くと、管理人さんが私を待っていました。昨日、義父は誰も来ていないという管理人さんの言葉に納得せず、監視カメラを見せろと言い出したそうです。管理人さんが「お嫁さんが来たら話しましょう。」と義父を宥めてくれたのですが、かなり混乱している様子だったそう。お嫁さんが直ぐに来てくれて良かったと、安堵した様子でした。

インターホンを鳴らすと、義父は「Marimoちゃんか!」と喜んでオートロックを開けてくれました。そしてエレベーターを降りると、義父はすでにドアを開けて待っており、その表情から何度も掛けてきた電話は義父からのSOSだったということ、義父は私に来て欲しかったのだということが伝わってきました。

義父は「もう、わけが分からないんだ。お金もカードも通帳も無い。誰かが来て持って行ったんだ。何もないんだ。」と、かなり狼狽えています。私はとりあえず家に入り義父と一緒に部屋の中を探してみましたが、やはりお財布も通帳もありません。そこで急いで銀行に連絡してカードと通帳を止め、警察に遺失物の届出を済ますと義父はやっと少し安心して落ち着きを取り戻したようでした。

病院とボイラー修理と・・・

しかし、問題はこれだけではありませんでした。義実家はボイラーが故障して暖房が使えなくなっていたのです。しかも義父がセーターの袖を捲った時に気がついたのですが、義父の右手首は赤く腫れ、膝が痛いようで歩き方が少し変です。恐らく転倒したのでしょう。でも義父は転んだ覚えは無いと言います。

私は管理人さんにボイラーの修理業者に連絡してもらうようお願いすると、義父を病院に連れて行き、義父の介護保険申請をしたい旨を病院に伝えてそれに必要な検査も行ってもらうよう頼みました。そして幸いにもその日のうちに必要な検査は全て受けられることになり、私は義父の検査に付き添う合間にボイラー修理の手配をしました。

一体この数日で何が起きたのかは分かりません。ただ、今月は年金の支給月だったことを考えれば、生活費を引き出しに行った義父がどこかで転倒し、その時にお財布や通帳を落としたのではないかと思います。

警察に落し物としては届いていませんが、家の中は私がありそうな場所を徹底して探したので、やはり外出して落とした可能性が高いでしょう。しかし、義父はその辺りの記憶が抜け落ちており、空き巣にお財布や通帳を盗られたと思い込んだようです。

どんなに不安だったことか

朝晩は寒くなった札幌の暖房が壊れた家で、突然お財布や通帳が無くなった義父はどんなに心細かったことでしょうか。手元に現金が無かったので買えなかったのか、食糧も殆どありませんでした。

この日は義父を病院から義実家に送った後、私は区役所に介護保険申請の書類を出したり、ボイラー業者に立ち寄ったりしていたので簡単な夕食しか用意できませんでしたが、それでも義父は喜んで食べてくれました。

私が着いた時に比べるとだいぶ落ち着きをとりもどし、美味しそうに食事をする義父を見て、ピリカには悪いことをしたけれど、急いで駆けつけて良かったと思いました。

次回に続きます。