36、最後の夜 ~犬の腎不全末期・呼吸困難〜
家に帰って暫くの間はマリモの呼吸は幾分落ち着いていたが、また夜になると苦しそうに肩で息をし始めた。涎もたくさん出ている。様子を見れば見るほど私には肺水腫に見える。もうマリモの体をあまり動かさない方が良さそうだったので、その夜はマリモを寝室に運ぶのではなく、私がリビングに布団を敷いてマリモに添い寝することにした。
夜中になってもマリモの呼吸は安定せず、苦しそうに肩で息をしている。そして時折上体を起こしてこちらを見る。私は傍らに寄り添ってひたすらマリモの背中を撫で続けた。マリモは苦しそうに私を見つめている。「ママ苦しいの。助けて。」と言っているようだ。
でも私にできることと言えば背中を撫でてあげることぐらいしか無かった。無力さに涙が出る。マリモは伏せながら苦しそうに息をして、全く眠ることは無く、時折呻くように小さな声をあげて上体を起こした。全ては私が調べた限りの肺水腫の症状に一致していた。
そんな姿を見ていると、やはり病院に入院させるべきだったのかもしれないという考えが頭に浮かぶ。でもマリモ必死に帰りたがっていた。マリモがもし深夜の病院で一人で息を引き取ってしまうようなことになったら、私はずっと後悔することになるだろう。最後は家で迎えさせてあげたい。それにもし私の見込み違いで肺炎であれば明日には抗生物質が効いてきて少しは楽になるはずだ。
肺炎か肺水腫か
これは肺炎なのだろうか、それとも肺水腫だろうか。そしてなぜこんなに急に悪化してしまったのだろうか。私が14時前に買い物に出たときにはマリモの呼吸は普段通りだった。それが僅か2時間足らずで急に呼吸困難になってしまった。医師は肺炎の可能性が高いと言ったが、やはり私には肺炎でそんなに急激に呼吸困難になるとは思えない。恐らく午前中の点滴で補液をしたが、身体がその水分を代謝しきれずに肺水腫を起こしているのように思えた。症状も一致している。
以前、老人の肺水腫について雑誌の記事を読んだことがある。人間は死期が迫ると少しずつ体の水分を抜いていき、脱水状態になっていくそうだ。そうして干からびるように死んでいく方が楽に逝けるのだという。
しかし老人にあまり慣れていない医師が死に瀕した老人を診察すると、脱水を起こしているとして点滴をしてしまい、結果、その水分を代謝しきれなかった体は肺に水がたまり、肺水腫になってしまう。
肺水腫になると肺にたまった水分で生きながら緩慢に溺れていくような苦しみを味わうという。マリモがもし今肺水腫に苦しんでいるとしたら、何と残酷なことだろう。どちらも苦しいことに変わりはないけれど、まだ抗生物質で対処できる肺炎であって欲しい。
睡眠さえとれない
深夜2時を過ぎたころから、私は時折、マリモの背中を擦りながらウトウトしてしまった。しかし私が眠りそうになると、マリモが低い唸り声をあげて「ママ、眠らないで」と言うように私を起こした。
正直なところ、私がいくら背中を擦ったところでマリモの息は苦しく、あまり助けにはなっていなかっただろう。しかしマリモはとにかく私に背中を擦り続けて欲しいと、手が止まってしまうと必死に訴えてきた。私は眠ってしまわないように、マリモを抱いて布団から立ち上がり、背中を背もたれに着けないでソファーに座った。
マリモは相変わらず苦しそうに肩で息をして、全く眠る様子が無い。苦しすぎて眠ることさえできないのだろう。肺炎で一時的にこんなに苦しんでいるのか、肺水腫なのか、それとももう本当に最後の時が近づいてきた症状なか。
どちらにしても少しでも苦しさを緩和させてあげたい。私はまた明日も朝一で酸素ボックスレンタル業者に連絡を入れようと思った。正直もうマリモには病院でもあまりできることは無い。であれば酸素ボックスを家に設置して家で過ごした方がマリモは安心できるだろう。
朝一で業者に電話して、午前中は病院の高濃度酸素室に入れてもらい、昼過ぎには我が家に酸素ボックスを設置してマリモをお迎えに行きたい。最後は何としても家で看取らなければ。
私はマリモの背中を撫でながら、改めてマリモと暮らしたこれまでの日々を思い返した。マリモは夜はいつもリビングのケージの中にベッドを置いて眠っていたが、たまに朝早く目が覚めてしまうとケージから出してほしいと大騒ぎして私を起こした。
早朝にたたき起こされた幸せな日々
私はマリモがケージの中で暴れる音や吠える声が聞こえると、その音で夫を起こしてはいけないと、いつも飛び起きてリビングに向かった。マリモはいつも私が大急ぎで駆けつけると、ベッドの上でちょこんと座って待っていた。
そしてマリモをケージから出すと、大概の場合マリモは私の膝で丸くなって二度寝に入ってしまう。また眠ってしまうのならば、何も人を起こさなくてもいいのにと思うけれど、マリモとしては一度目が覚めたら二度寝はママの膝と決めているようだった。
こうして朝5時前に起こされて、マリモを膝に乗せたままソファーでウトウトした日が何回あっただろうか。せめて5時までは寝かせてほしかったけれど、そうして二人で過ごした朝も今となっては全てが愛おしく懐かしい。多少寝不足にはなったけれど、少なくともあの頃のマリモは私を早朝からたたき起こす元気があったのだから今思えば幸せな時間だった。
そんなことを考えながら何時間が過ぎただろうか。窓の外がだんだんと明るくなり、6時を過ぎたころには夫が起きてきた。私達は交代で朝食を食べたり、朝の用事をこなしたりしながら病院が開く時間を待った。
※まりもの名前は本来ひらがな表記ですが、文中では読みやすいようにカタカナにしてあります。