まりも日和

先天性腎臓形成不全による重度の腎不全のため、2歳と18日で虹の橋へ旅立った愛犬「まりも」について綴った「まりも物語」(腎不全と闘った642日間の記録)と、2020年8月に我が家にやってきたおてんば娘「ぴりか」の成長記録「ぴりか日記」、ハンドメイドについて書いた「Atelier Marimo」、その他夫婦二人生活の日々の出来事や思うことを綴ったブログです。

まりも物語:38、通院記録 ~犬の腎不全・200回に及ぶ通院を耐え抜いたまりも~

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病院から帰ってきてベッドで休むマリモ。

32、通院記録 ~犬の腎不全・200回に及ぶ通院を耐え抜いたまりも~

翌朝、私は5時ごろに目を覚ました。昨夜はほぼ一晩中泣いて、朝方にウトウトした程度だったけれど不思議と眠気は無い。昨夜病院から連れて帰ったマリモは、いつものように犬用ベッドに寝かせてある。その顔は今にも起きだしてきそうだ。

頬の辺りを撫でてみると、その頬は既に固く冷たくなっていた。つい昨日の朝までは衰弱してはいても触ればしっかりと暖かく、柔らかかった頬からは生命は完全に去ってしまった。

私はマリモをベッドごとリビングに移した。昨夜は混乱していて忘れてしまったけれど、マリモの身体が傷まないように冷やしておかなければ。

私はマリモをいったんベッドから出し、ベッドに保冷剤を敷き詰めた。その上にいつも使っていたバスタオルを敷きマリモを横たえる。そしてまたバスタオルを掛けて上から保冷剤を敷き詰めた。

そして最後にお気に入りだったピンク色の毛布を掛けた。この毛布は最初の冬に夫がマリモ用に買ってきて以来、マリモがとても気に入って使っていたものだ。マリモがソファーの上で気持ちよさそうに眠っていると、よく夫はこの毛布をそっと起こさぬように掛けてあげていた。私はそんな光景を見るのが好きだった。

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病院から帰ると、疲れるのかいつも膝に乗ってすぐに眠ってしまった。

通院記録

マリモのベッドに保冷剤を入れ終わると、私は紅茶をいれて、これまでの通院記録を見返した。マリモが我が家に来て直ぐに連れて行った各種の予防接種、まだ赤ちゃんの頃にお腹を壊して通院したこともあった。そして昨年の1月29日から延々と続いた通院の日々。

結局何日通院したのか数えてみると、腎臓形成不全が判明してから昨日までで、196日ほど通院していた。また肺炎で高熱を出した時や、嘔吐があった時など、1日に2回通った日もあるので、回数でいえば200回を超えているだろう。マリモは本当によく頑張ってくれた。

 ふと数字でマリモとの日々を振り返ってみたくなり、様々な日数を計算してみた。 

<マリモの生涯>

日数:749日(2年18日)

<我が家に来てからの日々>

日数:642日(1年9か月3日)

通院総日数:205日(腎不全発覚後:196日)

我が家に来てからの僅か642日のうち、205日、つまり約1/3は通院の日々だった。トレーニング教室などの楽しい時間もあったとはいえ、何と過酷な一生だったことか。通院した日は大嫌いな注射や点滴を打たれ、途中からは食事もあまり美味しくないと言われる腎臓病の療法食になった。

今、腎不全の子と暮らしている人達へのご参考までに、マリモの尿毒症発症前と発症後に分けて、医療費と通院回数の月平均を書いておこうと思う。

<2019年2月~10月>通院回数:10日、医療費:72,450円

<2019年11月~2020年5月>通院回数:17日、医療費:154,840円

5月は途中までなので、5月を抜かした医療費の平均は17万円弱程度だった。私の場合は延命よりもとにかく苦痛を与えないことに重点をおき、苦しさを緩和する為の医療費には糸目をつけずに、温熱療法やオゾン療法も取り入れたので、少し高めになっているかも知れない。

どちらにせよ本来ならば、マリモと一緒に楽しく暮らすために使うはずだったお金は、すべて通院に費やされてしまった。

思い返してみれば、あまり遠出もさせられなかったから、旅行には結局一度も連れて行かれなかった。玄関には折りたためば新幹線に乗せられるサイズの物を探して買ったカートが、ほぼ使われることのないまま置かれている。これを買った頃は、まだこんなに早くにお別れの時が来るなんて考えたことも無かった。

回復が望めない闘病生活

腎不全の子との暮らしはとにかくお金がかかる。でも医療費に関していうなら、たぶんほかの病気(癌や心臓病など)でも同じようにかかるだろう。ただ、決定的に違うのは、癌ならば末期であっても奇跡の回復を願って闘病を支えることもできるけれど、腎不全は奇跡的に治癒する望みは全くない。

「ここを乗り切れば・・・」という期待が一切持てず、つらい闘病が終わるのはその子が亡くなる時だ。闘病を乗り越えてまた一緒に暮らすという希望が一切ない中で、自分の寿命も苦痛の理由も悟ることのない子と暮らしていくのは他の病気での闘病とはまた違った精神的な苦痛があるように思う。通院中、どんなに確率が低いとしても治癒の可能性があったなら、どれだけ救われるかと何度も考えた。

マリモはやっとすべての苦痛から解放されて、その魂は元気に走り回っているのだろうか。まだ元気だった頃のように好きなだけ駆け回っていて欲しい。

飼い主として最後の役目

この日は、マリモの飼い主として最後にしなければならないことがいくつかあった。まずは葬儀の手配だ。冬であれば、あと1週間ぐらいは家で寝かせておいてあげたい。しかし5月下旬の陽気では、あまり長時間は家に置いておくことはできない。長くても3日が限度だろう。

これまでに2匹の犬を見送っている兄夫婦に連絡し、近所にある葬儀社を教えてもらった。そして、あとは区役所でマリモの登録を抹消し、犬観札を返却しなければならない。

外は昨日に引き続き弱い雨が降っている。マリモは衰弱が酷くなってからは雨の日になるとほぼ寝たきりになっていた。ここ数日は5月だというのに雨天が続き気温も低かった為、マリモに日向ぼっこをさせることもできずにいた。もし晴天続きだったらマリモはもう少し生きてくれただろうか。考えても仕方がないことばかりが頭をよぎる。

6時過ぎに夫が起きてきてマリモの頬を撫でた。その冷たさと固さに驚いたのだろうか、悲しそうに私を見て「マリモちん、冷たくなっちゃったね。」と言った。

朝ごはんを食べる気にもなれず、私は昨夜外したままテーブルの上にある腕時計を見た。時計は7時12分を指して止まっていた。今日はまだ7時にもなっていないから、昨夜止まってしまったのか。だとすれば、まりもが虹の橋に旅立つほんの少し前に止まったことになる。まりもの葬儀が終わったら修理に出そうと、私は腕時計を引き出しにしまった。

 

marimotan.hatenablog.com

 

午前9時を過ぎて、私は葬儀社に電話をした。担当者は、21日の10:30~と22日の12:00~の火葬であれば予約できるという。私は21日の12:00を予約した。担当者は、当日の送迎について簡単に説明し、また葬儀の際には遺影に使う写真データ、好きだった食べ物、マリモへの手紙、棺に入れる花を持参するよう告げた。

※まりもの名前は本来ひらがな表記ですが、文中では読みやすいようにカタカナにしてあります。

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