まりも日和

先天性腎臓形成不全による重度の腎不全のため、2歳と18日で虹の橋へ旅立った愛犬「まりも」について綴った「まりも物語」(腎不全と闘った642日間の記録)と、2020年8月に我が家にやってきたおてんば娘「ぴりか」の成長記録「ぴりか日記」、ハンドメイドについて書いた「Atelier Marimo」、その他夫婦二人生活の日々の出来事や思うことを綴ったブログです。

まりも物語:39、見送りの前に ~犬の腎不全・飼い主として最後の役目~

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古い靴下を咥えてきて、遊びに誘うマリモ。

39、見送りの前に ~犬の腎不全・飼い主として最後の役目~

葬儀の手配が電話を切ると、私は区役所へと向かった。人間と違って死亡届を出さないと火葬できないわけでもないのに、何も雨の中を今日行かなくてもと夫は止めたけれど、家で何もしないでいると涙が止まらない。

何か手を動かそうにも掃除も、大好きな手芸さえもやる気が起きない。たとえ雨降りでも少し外に出たほうがいいように思い、私は雨の中を一人、隣の駅にある区役所まで歩いた。

区役所で登録を抹消して犬観札を返却しようとすると、担当した窓口の女性は、丁寧にお悔やみを言って、犬観札は記念に取っておくこともできると教えてくれた。マリモがお散歩するリードにずっとつけていた犬観札だ。持ち帰っていいのであれば持ち帰りたい。

区役所を出ると、既に午前11時、酸素ボックスレンタル業者が開く時間になっていた。私は区役所の軒先で業者に電話を入れ、回収を依頼した。幸い、今日の夕方に回収に行かれるという。昨日の見積もりでは1カ月レンタルの料金になっていたが、結局翌日に返却となったので、日割り計算でのレンタル料と、回収費用の清算になった。

あとは、マリモのトリミングもキャンセルだ。トリミングサロンに電話をすると、オーナーの女性はマリモの急逝に驚いていた。そしてマリモの最後のトリミングになった4月30日のカット後に撮影した写真を用意しておくので、いつでも取りに来てくださいと言ってくれた。私が再び雨の中を歩いて自宅へと帰ると、夫はその間に酸素ボックスを解体して機材をまとめていた。

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鍋掴みはマリモのお気に入りの玩具だった。

連絡と後片付け

自宅に戻った後、私はマリモを知る友人達や、トレーナーさんに連絡を入れた。トレーナーさんはお悔やみの言葉をくれ、明日の夕方にマリモに会いに来てくれるという。友人たちからも続々とお悔やみの返信が届いた。

そして夕方には酸素ボックスレンタル業者の人が酸素ボックスを回収に来た。私はマリモの滑り止めの為にケージからリビングにかけて敷き詰めてあったタイルカーペットを外し、床を拭いた。マリモが嘔吐したり粗相をしてしまうたびに何度となく洗ってきたカーペットだ。捨ててしまおう。

他にもマリモが使っていた玩具類など、もう使わない物たちをまとめて袋に入れた。ペットシートやほぼ未使用のシャンプーなど手入れに使うものは全てトレーナーさんに差し上げよう。未開封で残っている腎臓病の療法食は病院に寄付して他の腎臓病の子に使ってもらえばいい。食べなかったおやつ類は兄夫婦の家の3匹の犬たちにあげよう。私は黙々とマリモの荷物たちを仕分けしていった。

玩具類を手に取ると、それを咥えて得意そうな顔で走り回っていたマリモが思い出され涙が溢れた。まだ元気だった頃はよく一緒に遊んだ。いつごろからだろう、家にいてもソファーでじっとしていることが多くなって、殆どおもちゃを使うことは無くなっていってしまった。いつも散らかり放題だったリビングにおもちゃが散らかることはもうない。

 

トレーナーさんの弔問

翌日の夕方、大きなフラワーアレンジメンを手に、トレーナーさんがマリモに会いに来てくれた。彼女はマリモの傍らに座ると、冷たくなったマリモの顔を撫でて、「またいつでも遊びにおいでね。」と優しく語り掛けた。

マリモは彼女のお教室が大好きだったから、私は11月に悪化して以降も何とかもう一度通わせてあげたいと思っていたものの、その願いはかなわなかった。名残惜しそうに何度もマリモの顔を撫でつつ、彼女は帰っていった。彼女が持参してくれたフラワーアレンジメントは、翌日の葬儀に持参して、一緒に棺に入れてあげることにした。

 

※まりもの名前は本来ひらがな表記ですが、文中では読みやすいようにカタカナにしてあります。

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