まりも日和

先天性腎臓形成不全による重度の腎不全のため、2歳と18日で虹の橋へ旅立った愛犬「まりも」について綴った「まりも物語」(腎不全と闘った642日間の記録)と、2020年8月に我が家にやってきたおてんば娘「ぴりか」の成長記録「ぴりか日記」、ハンドメイドについて書いた「Atelier Marimo」、その他夫婦二人生活の日々の出来事や思うことを綴ったブログです。

ペットロス:1、マリモの居ない日々

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ソファーでひっくり返るマリモ

1、マリモの居ない日々

マリモの葬儀を済ませて小さな骨壷袋にお骨を納めると、飼い主として最後の仕事も終わったせいか、私は急に体に力が入らなくなった。もともと早起きが得意で5時起きも苦にならなかった私が、酷い日は朝8時頃まで起きられず食欲も全く無い。何もせずただ無意味に1日やり過ごし、食事の支度さえあまりできなくなった。

夫はそんな私に何も言わずに淡々と日々の仕事をこなし、私が食事を取らない日にはコンビニで食料を調達して、私用には何かしら軽食を買って帰ってきていた。父が急死した時でさえ食欲を失わなかった私が、甘い物さえ食べたいと思わない。何を食べても砂を噛むようで美味しいと感じず、そもそも食べなくても空腹感が無い。 

気がつけば5月が終わり非常事態宣言も解除されて、夫は在宅勤務のままだったけれど、私は以前と同じ週3日出勤に戻ることになった。しかし、久しぶりに出勤してもあまり仕事の集中することもできず、ただ目の前の作業をこなすことしか出来ない。集中力が続かずにミスを連発してしまう。でも、それでも多少無理をしてでも通勤することで外に出て、普通の生活に戻ったことが功を奏したのか、私は少しずつ活力を取り戻し始めた。

 

後悔ばかりが募る

とはいえ、時間があるとマリモの事ばかり考える日々は続いた。マリモの腎臓形成不全が発覚し、余命を告げられた時から、私は出来る限りのことをしようと決め、特に終末期にはマリモになるべく苦痛を与えないよう、悔いが残らないように精一杯看病してきたはずだった。

しかし全てが終わった今思い返してみると後悔ばかりが募る。特に悔やまれるのは、最終日にマリモを長時間病院で待たせてしまったことだ。結局酸素ボックスを家に設置しても、設置後マリモは4時間程度で亡くなってしまい、結局病院で私を待つ時間の方が長くなってしまった。あの時、私は何故自分でレンタル業者に向かったのか。夫に半休を取って貰って業者に行って貰えば私は病院でマリモに付いていてあげることもできた。若しくは夫に病院に来てもらうこともできた筈だ。

私が病院を出ようとすると、マリモは苦しい体を起こして必死に「行かないで!」と前脚を伸ばしてきた。その姿がいつまでも頭を離れず、家ではもちろん、マスクをしているのをいいことに私は通勤中さえ泣いていた。

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毎朝、夫が出かけるまでの時間は夫に張り付いていたマリモ

 肺炎か肺水腫か

そしてもう一つ心残りだったのは、私はマリモの肺水腫を疑っていたのに、それを医師に伝えなかったことだ。医師の診断は肺炎だった。しかし私はあの急激な呼吸困難の原因は肺水腫ではないかと思っていた。しかし、全くの素人が意見するのは憚られ、結局言わずじまいだった。あの時、私が肺炎ではなく肺水腫ではないかと医師に話していたら、もっと処置が変わって、マリモの苦しみを軽減してあげることもできたかもしれない。

その後私なりに犬の肺水腫に関して調べてみると、マリモの症状はやはり肺水腫と大部分が一致していた。また亡くなる前日に打った抗生物質が全く効いた様子が無かったことも、マリモが肺水腫だったという私の説を裏付けているように思った。もしマリモが肺水腫だったのなら、私があの時強く主張していれば医師も肺水腫の可能性も考えただろうか。そして適切に処置をされていれば、もしかしたらマリモはもっと長く生きたか、少なくとも苦痛は少なく過ごせたのではないだろうか。

しかし今となってはもうどうにもできない。確認することはできないし、確認できたとしても取り返しが付かない。悔いのない看病を続けてきた筈が、最後の最後にとても悔いが残ってしまった。今更どうにもならないと解っていても、毎日同じことを考えては後悔の念に駆られる日々が延々と続いていた。

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