まりも日和

先天性腎臓形成不全による重度の腎不全のため、2歳と18日で虹の橋へ旅立った愛犬「まりも」について綴った「まりも物語」(腎不全と闘った642日間の記録)と、2020年8月に我が家にやってきたおてんば娘「ぴりか」の成長記録「ぴりか日記」、ハンドメイドについて書いた「Atelier Marimo」、その他夫婦二人生活の日々の出来事や思うことを綴ったブログです。

まりも:8回目の月命日

f:id:Marimotan:20210111145643j:plain

マリモの写真集を作りました。

8回目の月命日

今日でマリモが旅立ってから8か月が過ぎました。マリモが最期の時を迎えたのはコロナの第一波による緊急事態宣言中でしたが、あれから8か月が過ぎた今、横浜には再び非常事態宣言が出ています。

前回に非常事態宣言は、私にとっては都合のよい部分もありました。日に日に容態が悪化するマリモを家に置いて仕事に行くことに大きな不安を抱えていた私にとって、緊急事態宣言で自宅待機になったことは、収入的には下がってしまったことを差し引いてもメリットが大きく、また夫も完全在宅勤務になったので、二人ともマリモをしっかり看護できる体制が整いました。

そして5月も半ばを過ぎたころ、緊急事態宣言の終わりが見え始め、マリモの看病をどうしたらいいか考えあぐねていた矢先、5月19日にマリモは虹の橋へ旅立っていきました。

f:id:Marimotan:20210111145142j:plain

2018年12月 洗濯籠から取ってきたタオルで遊ぶマリモ

マリモは全てを解っていた?

今思うと、マリモには私の考えていることが全て解っていたように思います。以前の記事にも書きましたが、昨年3月に余命宣告を受けた後、マリモは奇跡的回復を果たし、私の悲願だった2回目の誕生日を迎えました。そして誕生日の僅か2日後から急激に衰弱し始めて、19日の夜に力尽き生涯を閉じました。

 

marimotan.hatenablog.com

 

昨年3月にマリモが見せた奇跡的な回復は、せめて2歳までは死なせまいとしていた私の思いに応えるため、マリモが渾身の力を振り絞ってくれたのだと思っています。医師も言葉を失う悪い数値の中、マリモは必死に頑張ってくれたのでしょう。

そして最期の時にしても、やはり私の考えを読んでいたように思います。私は緊急事態宣言が解除されて再び通勤が始まったら、マリモの看病をどうしたらいいか考えあぐねていました。

5月中旬、マリモは既に食事を全く受け付けず、連日の点滴も全く功を奏しているようには見えませんでした。むしろ、いつ容態が急変してもおかしくない状態で、とても長時間家で留守番をさせられるような状態ではありません。仕事を辞めてしまうことも考えましたが、毎月の医療費は16万円を超えており、保険の通院給付金も使い果たしてしまっていたので、収入が途絶えてしまうと資金繰りが難しくなります。

そんなことを考えていた矢先、マリモは突然呼吸困難のような状態になり、呼吸が荒くなってから1日半で絶命しました。マリモが旅立ったのが19日、葬儀が21日、そして緊急事態宣言解除に伴い通勤に戻ったのが6月1日。マリモの葬儀の後は全身に力が入らず一週間程度は食事も喉を通らずに寝込んでいたため、結局最初の1週間は休んでしまいましたが、マリモのの旅立ちと見送りの日から、少しだけでも何も考えずに寝込んでいる時間があったおかげで、何とか普段の生活に戻ることができました。

今にして思えば、マリモは自分が居なくなった後、ママは暫くは何もできなくなるであろうことを見越して、私が少し休息をとれるように旅立つタイミングを定めていたように思えてなりません。マリモがもし3月に旅立ってしまっていたら、私は4月の緊急事態宣言以降、就業意欲を無くして引きこもり、多分仕事も辞めていたのではと思います。そうなれば余計に精神的にも落ち込んで、きっと普通の暮らしに戻るまでにかなりな時間を要したことでしょう。

しかし、マリモを見送って2週間後から通勤が始まり外に出ていったことが良い気分転換にもなり、相変わらず泣いてばかりいたものの、とにかく生活のリズムが整っていきました。本当に全てが絶妙なタイミングで計算されていたかのように進んでいったのです。そしてそれらが全て偶然とは私には思えません。

f:id:Marimotan:20210111144620j:plain

2019年9月 楽しそうなマリモ

 マリモの写真集

年末年始のお休みを利用して、ずっと考えていたマリモのフォトブックをを編集しました。マリモが我が家に来たその日から、旅立つ3日前の5月16日までの写真をたくさん詰め込んだので、1冊には纏められずとても厚い2冊のブックになりました。

写真集の中では元気だった頃のマリモが愛らしい顔で走り回っています。私の脳裏に焼き付いているマリモの姿は、最期の日に病院で「ママ、ママ」と必死に前脚を伸ばしてきた時の姿ですが、改めて写真を整理すると楽しそうな表情の物もたくさん残っています。

マリモを失った悲しみはなかなか癒えることはありませんが、これからはもっと楽しそうだったマリモの顔を思い出しながら暮らしていきたいと思います。 

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村