まりも日和

先天性腎臓形成不全による重度の腎不全のため、2歳と18日で虹の橋へ旅立った愛犬「まりも」について綴った「まりも物語」(腎不全と闘った642日間の記録)と、2020年8月に我が家にやってきたおてんば娘「ぴりか」の成長記録「ぴりか日記」、ハンドメイドについて書いた「Atelier Marimo」、その他夫婦二人生活の日々の出来事や思うことを綴ったブログです。

今週のお題「〇〇からの卒業」:親子関係の卒業、自分が望む生き方(2)

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今週のお題「〇〇からの卒業」:親子関係の卒業、自分が望む生き方(2)

こんにちは。

今日は前回の記事の続きです。

親の意見に流されて、本当にやりたいことを諦めることによる損失は計り知れない程大きい

前回お話ししたような私自身の経験も含め、私はインターン生には親が何と言おうが自分のチャレンジしたい道へ進むように強く勧めています。親が何を言おうと彼女たちの人生は彼女たちの物、ましてや優秀で聡明な彼女たちが社会に出ればちゃんと自分の力で自分の人生を切り開けるでしょう。

親の反対を押し切って親から見放されるより、親の意見に従って自分が本当に進みたい道を諦めるほうがその人生で失われるものは遥に大きく、チャレンジしたいことを諦めた悔しさは、取り返しのつかない後悔としていつまでも心に残ります。

私自身、あの時親の反対に屈していたら、楽しかったオーストラリア生活、仕事でたたき上げた英語力、寝袋を背負ってオーストラリア中を旅した思い出、今でも連絡を取り合う友人など、私の人生におけるかけがえのない宝物たちは失われることになり、その損失は計り知れなかったでしょう。そして親に対する怒りと大きな後悔が残ったはずです。仕事面でも大きなマイナスになって、今のような英語を駆使する仕事には就けなかったと思います。

親が望む幸せと自分が望む生き方

うちの母もインターン生の彼女たちの親も別に子供を意のままに操りたいわけでは無く、幸せになって欲しいと思っているのでしょう。しかし問題は親の望む「幸せ」が指すものは、往々にして娘が結婚して子供を産むことなのに対して、娘の幸せは必ずしもそうではないということなのではないでしょうか。女の子は年ごろになれば結婚して子供を産むのが当たり前だった時代ならいざ知らず、今はたくさんの可能性と選択肢があります。ましてや高度な教育を受けて専門知識を持つ彼女たちがその能力を活かせる場所に出ていきたいと願うのは当然のことです。

親の意向を酌むために、自分の目の前にある可能性を諦めなければならないとしたら、こんなに残酷なことは無いと思います。彼女たちの人生は彼女たちの物。自由に生きて存分に楽しんで欲しいと私は切に願っています。そしていつか素敵な伴侶と巡り会ったなら、その誰かと幸せな家庭を築けばいいので、親の要望に応えて家庭を持つ必要はないのです。

学生で、まだまだ親がかりの生活をしている彼女たちは、親との関係悪化を恐れている節があり、助けてもらえなくなると困ると思っているみたいですが、それも心配ないでしょう。私も奨学金という借金を背負っていましたが、ガッツリ仕事をしていたので親の助けが無くても問題はありませんでした。個々の事情にもよりますが親との関係悪化を必要以上に心配する必要はないと思います。

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大概の場合、親子は何とか折り合いをつけられる

そして、親がいわゆる毒親などでない限り、大概の場合はたとえ対立しても親子関係はいつかは落ち着き、折り合いがつけられるようになると思います。

かつて、私と母の関係も激しく拗れました。母の願いを顧みず自由に生きる私を、母は「親のことも考えずに勝手気ままに生きている」と言い、せっかくランチに出掛けたりしても、ちょっとしたことから口論になることが多く、そうなれば私の人間性や生き方を徹底的に否定されて、時には母から憎悪されていると感じたこともありました。私も激しく応戦するのて、当然関係は悪化するばかり。

ある日、私がたまたま受けた占いで「将来は流産に気をつけなさい」と言われたと話した際に、母は「あんたみたいに勝手気ままに生きている人間はそれぐらいの罰が当たればいい、むしろそれぐらいの苦労すればいいのよ!」と愉快そうに言いました。

母の罵詈雑言には慣れていた私ですが、その言葉を聞いた時は、そこまで私を罰したい、ダメージを負わせてやりたいのかと少なからぬショックを受け、そして改めて母との間に自らが作り出した深い溝を感じたものです。しかしそこまで拗れて対立していた私と母の関係ですら、後に私が深刻に精神を病み、長い療養生活を余儀なくされた頃から何となく落ち着いていきました。

当時、仕事も順調な中で原因も判らずに深く精神を病んだ私は、家から出ることさえ大変でした。そして食事もまともに喉を通らず衰弱した私を見た母は、度々身の回りの世話にやってきました。あれほど私に腹を立て、ずっと罵り続けた母でさえ娘を放ってはおけなかったのでしょう。そして長く続いた私と母の反目も、和解しないまでもなんとなく収まっていきました。

あれほど拗れても絶縁することもなく、程よい距離感を持てるまでに関係を修復できたのは私と母が親子だったからでしょう。私の幼少期、母は愛情をたっぷり注いで育ててくれましたし、私は母が大好きでした。だから分かり合えなくても母とはどこかで心は繋がっていたのだと思います。

親の反対を押し切ることで一時は険悪になったとしても、親子である限り縁は簡単には切れません。だから完全に和解しないまでも、余程の事情や確執がない限り、殆どの場合、折り合いはついていくのではと思います。

自由に生きて、人生を楽しんでほしい

あくまで私の例なので、インターン生の彼女たちの親子関係に必ずしも当てはまるかは解りませんが、自身の望む道と親の願いの狭間で思い悩む彼女たちを見ていると、もっともっと自由に生きて自由に羽ばたいてほしいと願わずにはいられません。自分の意思で選んだ道であれば、たとえ失敗しても躓いてしまっても納得もいくし、もう一度自力で立ち上がることができるはずです。

最終的には彼女たちの選択なので、無責任な立場で親との決裂を煽る気はありませんが、これから社会に出る、これから本当の人生が始まる彼女たちが自ら望む生き方に進めるよう、少しでも勇気づけ、背中を押すことができればと心から思います。

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