まりも日和

先天性腎臓形成不全による重度の腎不全のため、2歳と18日で虹の橋へ旅立った愛犬「まりも」について綴った「まりも物語」(腎不全と闘った642日間の記録)と、2020年8月に我が家にやってきたおてんば娘「ぴりか」の成長記録「ぴりか日記」、ハンドメイドについて書いた「Atelier Marimo」、その他夫婦二人生活の日々の出来事や思うことを綴ったブログです。

まりも物語 (番外編) : 止まった腕時計 ~腎不全のまりもが最後に持っていったもの~

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2019年3月ごろのマリモ。お散歩が大好きだった。

まりも物語(番外編):  止まった腕時計 ~腎不全のまりもが最後に持っていったもの~

 最近私は新しい腕時計を買った。それまで使っていた腕時計はマリモが亡くなった5月19日以降、壊れて動かなくなってしまったからだ。

その腕時計は23年前に買って以来ずっと愛用してきたものだった。特にブランド物や高価な時計だったわけではない。確か百貨店の入口で友達と待ち合わせていた時に、だいぶ早く着いてしまって時間潰しに店内をウロウロしている時に見つけた物だった。ごくシンプルなシルバーの時計で、金額は1万5千円ぐらいだっただろうか。スッキリと無駄な装飾がない静かな佇まいに一目惚れして購入した。

以来23年間、外出時にはその腕時計が常に私の左腕にあり、何処に行くのも一緒だった。若かりし日の私は旅好きなお転婆娘だったので、約20ヶ国以上を旅してきたけれど、カナディアン・ロッキーを旅した時も、タクラマカン砂漠を進む時も、サハラ砂漠を歩く時も腕時計はいつも私の相棒だった。途中、何度も電池交換し何度も修理に出してきたけど、不思議と私の腕にしっくり馴染むこの時計を買い換える気にはならなかった。 

マリモが亡くなった日、腕時計は止まった 

しかしそんな大切に使い続けてきた腕時計が、マリモが亡くなったあの日の夜に止まってしまった。あの日、私は朝からマリモを病院に預けて家庭用の酸素ボックスを業者に借りに行き、帰ってきてマリモをお迎えに行ったりと、かなり時間に追われる1日を送っていた。夕方に帰宅して外すまで私は腕時計で何度も時刻を確認していたから、それまでは確かに正確に動いていたはずだ。

これまでにも何度か止まってしまったことがあったので、またいつもの様に電池交換するか修理に出せば直るだろうと思った私は、いつもお願いしている時計屋さんに腕時計を持って行った。

動かなくなった時計

時計を預けてカフェでお茶を飲んでいると時計屋さんから電話が入った。出てみると店主は沈んだ声で、今回この時計を修理するのはかなり難しいのだと言う。いつもは故障した箇所を調べて少し調整すれば直っていたけれど、今回は何処が故障したのか見当が付かない。もしそれでも修理したいのであれば、全体を一度解体してどの部品が原因なのかを特定するこてから始めねはならず、それにはお金も時間もかかるのだそうだった。

いつもはこんな安物の腕時計でも「大切に使うのはいいことですよ」と言って、決して買い換えを勧めずに修理してくれた店主が困った声で電話してきたのだから、今回は本当に修理は難しいのだろう。私は直ぐに時計を取りに行った。

家に戻って動かなくなった時計を眺めていると、この腕時計と共に歩んだ日々が思い起こされた。水の中に落としたこともある。バックパックと寝袋を背負い旅する途中で洗面台の上に忘れて、危うく無くしかけたこともあった。

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私の持ち物に興味津々のマリモ

マリモも好きだったママの腕時計

マリモを病院に連れて行く時も腕時計は必ずしていた。病院で順番を待つ間、私の膝に抱かれたマリモはよくこの時計をいじっていた。美味しくもないだろうに、噛もうとしたり、文字盤を舐めることもあった。家でも外した時計をうっかりローテーブルにでも置こうものなら、マリモはすかさずそれを咥えて得意げに走り回り、私は取り返すのに苦労したものだった。

動かない腕時計を眺めつつ私は他に修理してくれるお店を探すか買い換えるかを考え、結局買い換えることにした。マリモは私のお気に入りの物を欲しがる子だった。私のお気に入りのパジャマを洗濯カゴに入れておくと、引っ張り出してクチャクチャにし、靴下にしてもタオルにしても私が気に入っている物に限って、まりもに穴を開けられたものだ。

闘病の終わりが近づき一日中私達の寝室で横になっていた時も、私や夫のパジャマをよくいじっていた。最後にマリモは、ママの1番のお気に入りを持って行きたかったのかも知れない。ママの時計を咥えて得意そうに虹の橋へ向かったのだろうか。

マリモが虹の橋にもっていった?

不思議なことに時計は7時12分の位置で針が止まっていた。スマホの通話履歴を見ると、マリモの痙攣が始まって私が動物病院に電話をしたのが19時46分。マリモが息を引き取ったのは大体19時50分ぐらいだろう。朝の7時に止まっていたはずは無いので時計はマリモが虹の橋に旅立つ約30分前に止まって、そのまま二度と動かなくなった。

今、腕時計はマリモの骨壷と一緒にマリモの仏壇に入っている。マリモは虹の橋の袂で得意げな顔で時計を咥え、私が取り返しに来るのを待っているのかも知れない。私が時計を取り返しに行くのはまだ少し先になるとは思うけれど、その時までいつものように尻尾フリフリで待っていて欲しい。そして時計には長い間、本当にお疲れ様でしたと言いたい。

新しい時計は以前の時計と似ているデザインの物を購入した。この時計も壊れて修理できなくなる日まで大切に使い続けたい。

 

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