まりも日和

先天性腎臓形成不全による重度の腎不全のため、2歳と18日で虹の橋へ旅立った愛犬「まりも」について綴った「まりも物語」(腎不全と闘った642日間の記録)と、2020年8月に我が家にやってきたおてんば娘「ぴりか」の成長記録「ぴりか日記」、ハンドメイドについて書いた「Atelier Marimo」、その他夫婦二人生活の日々の出来事や思うことを綴ったブログです。

まりも物語&ぴりか日記:9か月を迎えたぴりか、まりも物語へのコメント(先天性腎不全)

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9か月を迎えたぴりか。寝転がっている時だけ耳が立ちます。

9か月を迎えたぴりか、まりも物語へのコメント

 

こんにちは。

ピリカは昨日で9が月齢になりました。昨日の横浜は大雨で風も強く、まさに「春の嵐」。桜が開花する前で良かったな~と思いながら一日中家でせっせと掃除や手仕事に励んでいました。

お散歩に行かれないピリカはストレスが溜まるのか、夫がボールで遊んであげていましたが、リビングを走り回ってはお散歩に行きたいアピールを繰り返していました。小雨程度なら少し外に連れて行くこともできますが、昨日は叩き付けるような雨と強風で、ピリカのようなちびっ子が外に出たら一瞬で吹っ飛ばされてしまいそうです。

不満そうなピリカを抱き上げて窓から外を見ていると、2匹の柴犬を連れた男性が歩いているのが見えました。こんな雨の時でも家で排泄をしないワンちゃん達の飼い主さんはちゃんとお散歩をさせているんですよね。同じ飼い主として頭が下がる思いです。

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あいにくの雨でお散歩に行かれないピリカの為に、昨日のご飯の時には人間用に買ってあった焼き肉用のカルビを焼いて、小さく切ってご飯に載せてあげ、食後にはいつもより多めにママお手製のカボチャプリンをあげました。しかしモリモリ食べると余計に力が出てくるようで、結局夜の11時近くまでリビングで大暴れ・・・(-_-;)。

元気なのは本当にありがたいですが、あの小さな体のどこにあれほどのエネルギーがあるのか・・・。家の中で相手するだけでも疲れます(;´д`)。

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まりも物語を見た飼い主さんからのコメントが付きました。

昨日、マリモの10回目の月命日の記事に、マリモと同じ先天性の腎不全と思われるゴールデンレトリバーの飼い主さんからのコメントが付きました。

marimotan.hatenablog.com

まだ急性か慢性かはわからないということですが、コメントを読む限りマリモと全く同じなので、恐らく先天性です。私と同様に初めて飼った犬だったので飲水量が多くても異常だとは思わなかったとのこと、マリモの腎不全が発覚した日の衝撃を思い出し、涙が出てしまいました。

やはり仔犬の腎不全に関する情報が無く、検索しているうちに私のブログにたどり着いたそうです。私にもよく解ります。どんなに検索しても出てくるのは老犬腎不全の話ばかりで仔犬の腎不全の情報はほぼ皆無でした。だから、今後同じように腎不全の仔犬と暮らす飼い主さんに少しでも参考になる情報を残そうと思って書き始めたのが「まりも物語」です。

途中、何度か書くのを止めようかと思たこともありましたが、書き残しておいて本当に良かったと思いました。通院時の治療費の明細は処分してしまいましたが、血液検査の結果は全て残してあります。手帳のメモ程度ですがオゾン療法や温熱療法を試した時の記録も残してあります。大体のことは記事に書いたつもりですが、今一度良く見直して少しでもお役に立てる情報を提供していきたいと思います。

あくまでマリモの場合であって他の犬に当てはまるかは解りませんが、もし同じような腎不全の仔犬を持つ飼い主さんのお役に立てれば本望ですし、マリモもきっと喜ぶと思います。

2歳を迎えた直後に絶命したマリモは、私にとっては虹の橋に行こうがどこに行こうがどんなに愛しても愛したりない愛娘です。マリモが生きた証を残すために、苦しかったであろう闘病を少しでも意味のあるものにできるように、私も精一杯頑張ろうと改めて思いました。

だから、もし仔犬の腎不全の情報収集中に私ブログにたどり着く方がいたら、どんな質問でも遠慮なくしてほしいです。使った薬、掛かった費用、何でも構いません。役に立てるかは別として、とにかく私は私なりに精一杯サポートさせていただきたいと思います。

 

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まりも:10回目の月命日 ~Atelier Marimoとともに~

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パパに抱っこされるマリモ(2019年10月ごろ)。

10回目の月命日 ~Atelier Marimoとともに~

こんにちは。

まりもが旅立ってから、今日で10ヶ月が過ぎました。まりもの旅立ちは昨年の緊急事態宣言が終わる少し前でしたが、今、横浜市は2度目の緊急事態宣言が終わろうとしています。

いつもお散歩していた公園では、桜の蕾がしだいに膨らみはじめ、この週末にも開花しそうです。昨年は奇跡の復活を果たしたマリモと歩いた公園を、今年はピリカと歩くことになります。マリモは人が多くてもいい子にしていてくれましたが、ピリカは生まれながらの営業部長気質なので、公園の人出が増えれば大興奮で愛嬌を振りまくことでしょう。中には犬アレルギーの方もいらっしゃるでしょうから、ご迷惑かけないか少し心配です。

先日、Atelier Marimoの初受注品の割烹着を友人に納品しました。友人は仕上がりにとても満足してくれて、「依頼して良かった」と言ってくれました。もともとマリモの看病でフルタイムで働けなくなり、在宅時間が増えて再び始めたハンドメイドでしが、こうして誰かに喜んで貰える日が来て、心から嬉しく思います。これもマリモが私に残してくれたギフトですね。

まだ念願のハンドメイドマーケットへの出品は果たせていませんが、友人からの製作依頼がちょいちょい入っているので、まずはそちらから頑張ろうと思います。f:id:Marimotan:20210319162826j:plain

お友達と遊ぶマリモ(2018年12月ごろ)。虹の橋でもこんな笑顔でいてほしい。

Atelier Marimoとともに

マリモが虹の橋へ旅立ち、ピリカをお迎えしてからも私はほぼ毎日のようにマリモを思い出しては涙ぐんでばかりいました。割烹着を縫っている時でさえ、私の足元にちょこんと座りミシンの音を不思議そうな顔で聞いていたマリモの姿が思い出されて何度も涙ぐみましたが、もうそろそろそんな日々からも卒業しなければと思います。

先日、ついにAtelier Marimoは一応のスタートを切りました。まだまだ初受注した割烹着を納品しただけですが、それでもその完成品を見た他の友人から依頼がきたり、とにかくAtelier Marimoは動き出しています。私にハンドメイドの楽しさを思い出させてくれたマリモの名を冠した屋号ですから、短い命を懸命に生き抜いたマリモに恥じることのない作品作りを心がけたいと思います。

昨年の今頃、短いお散歩はするものの殆ど遊ぶことも無くなったマリモは、作業台にしていたローテーブルの横の陽だまりに置いたベッドから、作業する私の指をジーっと見ていました。きっと今も虹の橋から見ていることでしょう。だから作業をしているとマリモが様子を見に戻ってきているような気がします。そしてまた足元にちょこんと座ってこちらを見ている気がしてなりません。

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納品を終えた割烹着とターバン。Atelier Marimoの第1作目です。

だから今後はAtelier Marimoで良い作品を作ることで、マリモと共に歩んでいきたいと思います。マリモが居た日々は少しずつ遠ざかっていきますが、こうしてマリモの名前を屋号に作品作りをしているかぎり、たとえ共に暮らした月日が遠ざかろうとも、記憶まで遠ざかることは無いでしょう。形は変わってもマリモと私は一緒に歩んでいかれるように思えるのです。

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すくすく成長して服が少し小さくなってしまったピリカ。

ピリカとの日々も思い切り楽しむ

そしてマリモとはAtelier Marimoを通じて共に歩んでいくとして、ピリカとはとの生活も今まで以上に楽しみたいと思います。何せピリカは今、我が家でスクスクと成長しており、たくさん遊んであげることも、色々おやつを作ってあげることも、コロナが収束すれば一緒に遠出することもできるのですから。

ピリカはもうすぐ生後9か月、あと数日で初めての桜の季節を迎えます。今年も大掛かりなお花見はできませんが、桜が咲く公園を一緒に歩くのを私は今から楽しみにしています。しかしピリカはまさに「花より団子」派なので、もしピクニックをしている人たちが居たら、桜なんてそっちのけで尻尾フリフリ近づいていきそう・・・。ちょっと注意しないとなりませんね(-_-;)。

元気いっぱいのピリカとは、この先もたくさん桜並木の下を一緒にお散歩したいです。

 

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今週のお題「〇〇からの卒業」:親子関係の卒業、自分が望む生き方(2)

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今週のお題「〇〇からの卒業」:親子関係の卒業、自分が望む生き方(2)

こんにちは。

今日は前回の記事の続きです。

親の意見に流されて、本当にやりたいことを諦めることによる損失は計り知れない程大きい

前回お話ししたような私自身の経験も含め、私はインターン生には親が何と言おうが自分のチャレンジしたい道へ進むように強く勧めています。親が何を言おうと彼女たちの人生は彼女たちの物、ましてや優秀で聡明な彼女たちが社会に出ればちゃんと自分の力で自分の人生を切り開けるでしょう。

親の反対を押し切って親から見放されるより、親の意見に従って自分が本当に進みたい道を諦めるほうがその人生で失われるものは遥に大きく、チャレンジしたいことを諦めた悔しさは、取り返しのつかない後悔としていつまでも心に残ります。

私自身、あの時親の反対に屈していたら、楽しかったオーストラリア生活、仕事でたたき上げた英語力、寝袋を背負ってオーストラリア中を旅した思い出、今でも連絡を取り合う友人など、私の人生におけるかけがえのない宝物たちは失われることになり、その損失は計り知れなかったでしょう。そして親に対する怒りと大きな後悔が残ったはずです。仕事面でも大きなマイナスになって、今のような英語を駆使する仕事には就けなかったと思います。

親が望む幸せと自分が望む生き方

うちの母もインターン生の彼女たちの親も別に子供を意のままに操りたいわけでは無く、幸せになって欲しいと思っているのでしょう。しかし問題は親の望む「幸せ」が指すものは、往々にして娘が結婚して子供を産むことなのに対して、娘の幸せは必ずしもそうではないということなのではないでしょうか。女の子は年ごろになれば結婚して子供を産むのが当たり前だった時代ならいざ知らず、今はたくさんの可能性と選択肢があります。ましてや高度な教育を受けて専門知識を持つ彼女たちがその能力を活かせる場所に出ていきたいと願うのは当然のことです。

親の意向を酌むために、自分の目の前にある可能性を諦めなければならないとしたら、こんなに残酷なことは無いと思います。彼女たちの人生は彼女たちの物。自由に生きて存分に楽しんで欲しいと私は切に願っています。そしていつか素敵な伴侶と巡り会ったなら、その誰かと幸せな家庭を築けばいいので、親の要望に応えて家庭を持つ必要はないのです。

学生で、まだまだ親がかりの生活をしている彼女たちは、親との関係悪化を恐れている節があり、助けてもらえなくなると困ると思っているみたいですが、それも心配ないでしょう。私も奨学金という借金を背負っていましたが、ガッツリ仕事をしていたので親の助けが無くても問題はありませんでした。個々の事情にもよりますが親との関係悪化を必要以上に心配する必要はないと思います。

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大概の場合、親子は何とか折り合いをつけられる

そして、親がいわゆる毒親などでない限り、大概の場合はたとえ対立しても親子関係はいつかは落ち着き、折り合いがつけられるようになると思います。

かつて、私と母の関係も激しく拗れました。母の願いを顧みず自由に生きる私を、母は「親のことも考えずに勝手気ままに生きている」と言い、せっかくランチに出掛けたりしても、ちょっとしたことから口論になることが多く、そうなれば私の人間性や生き方を徹底的に否定されて、時には母から憎悪されていると感じたこともありました。私も激しく応戦するのて、当然関係は悪化するばかり。

ある日、私がたまたま受けた占いで「将来は流産に気をつけなさい」と言われたと話した際に、母は「あんたみたいに勝手気ままに生きている人間はそれぐらいの罰が当たればいい、むしろそれぐらいの苦労すればいいのよ!」と愉快そうに言いました。

母の罵詈雑言には慣れていた私ですが、その言葉を聞いた時は、そこまで私を罰したい、ダメージを負わせてやりたいのかと少なからぬショックを受け、そして改めて母との間に自らが作り出した深い溝を感じたものです。しかしそこまで拗れて対立していた私と母の関係ですら、後に私が深刻に精神を病み、長い療養生活を余儀なくされた頃から何となく落ち着いていきました。

当時、仕事も順調な中で原因も判らずに深く精神を病んだ私は、家から出ることさえ大変でした。そして食事もまともに喉を通らず衰弱した私を見た母は、度々身の回りの世話にやってきました。あれほど私に腹を立て、ずっと罵り続けた母でさえ娘を放ってはおけなかったのでしょう。そして長く続いた私と母の反目も、和解しないまでもなんとなく収まっていきました。

あれほど拗れても絶縁することもなく、程よい距離感を持てるまでに関係を修復できたのは私と母が親子だったからでしょう。私の幼少期、母は愛情をたっぷり注いで育ててくれましたし、私は母が大好きでした。だから分かり合えなくても母とはどこかで心は繋がっていたのだと思います。

親の反対を押し切ることで一時は険悪になったとしても、親子である限り縁は簡単には切れません。だから完全に和解しないまでも、余程の事情や確執がない限り、殆どの場合、折り合いはついていくのではと思います。

自由に生きて、人生を楽しんでほしい

あくまで私の例なので、インターン生の彼女たちの親子関係に必ずしも当てはまるかは解りませんが、自身の望む道と親の願いの狭間で思い悩む彼女たちを見ていると、もっともっと自由に生きて自由に羽ばたいてほしいと願わずにはいられません。自分の意思で選んだ道であれば、たとえ失敗しても躓いてしまっても納得もいくし、もう一度自力で立ち上がることができるはずです。

最終的には彼女たちの選択なので、無責任な立場で親との決裂を煽る気はありませんが、これから社会に出る、これから本当の人生が始まる彼女たちが自ら望む生き方に進めるよう、少しでも勇気づけ、背中を押すことができればと心から思います。

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今週のお題「〇〇からの卒業」:親子関係の卒業、自分が望む生き方(1)

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今週のお題「〇〇からの卒業」:親子関係の卒業、自分が望む生き方(1)

こんにちは。

いつも犬のお話を書いていますが、今日は今週のお題に挑戦し、少し違うお話をしたいと思います。私は今、職場で留学生インターンたちの指導をしていることもあり、彼女たちの進路について相談を受けることが多々あります。今日もお昼休みに大学院2年生の中国人留学生の相談を受けました。彼女たちの話を聞いていていつも感じるのは、親子関係、特に母と娘の関係の難しさです。

私が指導しているインターン生は殆どがアジア圏出身の大学院生で、文系はコンサルタント志望、理系は研究者志望の子が多く、将来有望な優秀な女性ばかりです。しかしそんな彼女たちの行く手を阻んでいるのは、実は彼女たちの両親、特に娘を手放したくない母親だと思うことが少なくありません。

彼女たちの殆どは卒業後は日本やアメリカ、若しくは中国で働き、しっかりとキャリアを築きたいと考えていますが、殆どのご両親、特に母親は母国に帰って結婚して子供を産んでほしいと願っています。娘に近くにいてほしいと願う親は多いですし、孫の顔が見たいと思うのも当然の事でしょう。しかし彼女たちは海外の大学院に留学して高度な教育を受けた女性達、多くの可能性を持ち、自分の人生を切り開く力を十分に持った女性達です。それが能力を発揮して社会に出る前に、結婚や出産をするようご両親から強いプレッシャーを受けるのは、私にはとても気の毒に思えてなりません。

かつて、私も母と激しく衝突した

本人の意思を酌まない両親からのプレッシャーには、若き日の私も散々悩んだ時期がありました。20代の頃の私は仕事が大好きで、実際にそこそこ評価もされており、30歳までに海外生活にもチャレンジしたいと思っていましたが、女の子は結婚して子供を産むことこそが幸せ、早く孫の顔が見たいと思う母は、そんな私に物凄いプレッシャーを掛けてきました。

母からすれば、女の子は結婚するまで実家で暮らすもので、結婚するまでは親の言うことを聞くのが当たり前、子供を産むことを考えれば少しでも若いうちに結婚するべきなのに、全く結婚する気が無く、年中仕事に明け暮れて一人暮らしや海外暮らしの計画を立てている私など論外だったのでしょう。「いつまで勝手気ままに生きている気だ!」「早く結婚して親に孫の顔を見せなさい!」と顔を合わせるごとに噛み付いてきました。

でもそんな母の言葉を私は徹底無視して仕事に邁進しました。私の両親は私が小学生の頃から仲が悪く、私は母から毎日父に対する愚痴を聞かされて育ちました。私は母に、そんなに嫌いなら離婚すればいいのにと何度も言いましたが、経済力のない母は離婚せず、ただ不平不満を言い続けました。

そんな母を見て育ったこともあり、成人した私は結婚より出産より経済的に自立し、不平不満に明け暮れることなく自由に生きられる力を持つこと、親の束縛や干渉から早く解放されることを最重要視していました。むしろ経済的な自立と自由さえあれば結婚も出産も無くても構わないとさえ思っていたほどです。それでも大学卒業後すぐに家を出なかったのは、大学生活で借りた奨学金の返済があったことと、首都圏など近場で一人暮らしをするよりも、ある程度お金を溜めて、家族の誰も私を追ってこられない海外に脱出することを考えていたからでした。

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 追いすがる母を振り切って25歳の終わりにオーストラリアへ

そして母と対立しながらの社会人生活が4年目に入った頃、私にはある程度まとまった貯金ができ、遂に実家脱出の準備が整いました。予算の関係から大学院留学は難しかったので、ワーキングホリデー制度を利用してオーストラリアへの渡航を決め、一人で着々と準備を進て行きました。

やがて全てが整い母にオーストラリア行を告げた時、母は大激怒して私を罵倒しました。母は「親に何の相談もなく決めるなんてどういうつもり!」「あんたは親を何だと思っているの!」「お母さんは絶対に絶対に許しませんからね!」と絶叫し、殴られるかと思うほどの勢いで私を怒鳴りつけました。しかし母がどんなに怒鳴っても私の返答は一つ、「私はもう子供ではなく成人。何かを決断するのに親の許可は必要ないし、私の人生は私の物、もう誰の指図も受けない。」それだけでした。

その後、母は叔母たちまで総動員して私のオーストラリア行に反対しましたが、どんなに怒鳴りつけようが親子の縁を切ると脅そうが私の決意が全く揺らがないことを知ると、今度は体調不良で寝込むなど色々と妨害工作をしました。母にしたらさすがに病気の親を見ればオーストラリア行を断念すると思ったのでしょう。しかし私は寝込む母を尻目にビザと片道の航空券を取得し、持ち物の殆どを処分して、帰国予定も全く決めずにオーストラリアへ旅立ちました。

親離れ子離れ

そんな風にしてオーストラリア行を強行した私と母の関係はその後どうなったかと言えば、今はちゃんと適切な距離感を保ちつつ、良くも悪くも無いところに落ち着いています。

私の渡豪当初、母は「あんたには海外で生活できるような能力はない!」「何かあっても絶対に助けない!」と何度も電話で私を罵りました。しかし私が現地で就職し、良き友人や助けてくれる人達に出会い、親の助けなど全く無くても楽しく暮らすようになると、母は、もう娘は親の言うことは聞かない、娘の人生に口出しすることはできないと悟り、私が決めたことに口出しすることもなくなりました。

離婚することは無いまでも、父とは不仲で途中から別々に暮らしていた母は、私が自分の人生を自由に歩き始め、自分から去ってしまうのが寂しかったのでしょう。しかし母が怒鳴っても泣いても倒れても私が振り向くことなく渡豪して新しい生活を始めた時、やっと母は子離れできたのだと思います。

そしてその後の母はといえば、新しい趣味や友人もできて、驚いたことに兄の結婚を機に長い間不仲だった父との関係も改善されて、たまに食事をしつつ私達がまだ幼かった頃の思い出話に花を咲かせるまでになりました。そして父が一人で暮らしていた家にも出入りするようになっていき、その穏やかな関係は父の急死まで続きました。

私のケースはあくまで一例で、彼女たちにも必ず当てはまるわけではありません。しかし成人した子供に対し親が必要以上に干渉してくる場合、多少強引でも子離れできる環境を作ることは、決して悪い事でも親不孝でもなく、結果としてはお互いの関係改善につながることも少なくないのではと思います。 

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ぴりか日記:お散歩で元同級生と驚きの再会!

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お散歩で元同級生と驚きの再会! 

こんにちは。

今日は良いお天気でピリカはご機嫌ですが、花粉症の私は目の痒みと鼻水にやられています。早くピークを過ぎて欲しいのですが・・・

ピリカのお散歩で出会った人は

私は今、かつて自分が通った中学校の近くに住み、ほぼ毎日ピリカを中学校の隣にある公園に連れて行っています。

そこは夕方になるとたくさんのワンコと飼い主さんがやってきて、犬同士を遊ばせたり世間話をしたりするのですが、その中にフレンチブルドッグ「チャマ」ちゃんを飼っている御一家が居ます。

昨日の夕方、いつものように公園に行くと既に数匹のワンコと飼い主さんがおり、その中にチャマちゃんとママさんもいました。私と夫もピリカを連れてその輪に加わり、チャマちゃんを撫でてご挨拶すると、チャマちゃんのママさんは、「ピリカちゃんのママさんは、地元の人ですか?」と尋ね「ここの中学出身じゃないですか?」と隣接する中学校を指さしました。

私は大きく頷き「そうそう、ここの卒業生」と答えました。するとママさんは「うちの夫がチョンチョリンしてる小さな犬を連れてる人、絶対中学の同級生だったMarimoさんだと思うんだよな〜。でもマスクしてるからなぁ・・・。きっとそうだと思うんだけどなぁ〜。」と会う度に言っていると話し、ご主人の名前を言いました。

チャマちゃんのパパさんは私の元同級生!

そのご主人の名前は確かに中学の同級生、K君でした。K君とは中学卒業以来一度も会っていないので、実に30年ぶりの再会です。しかも何度も会っているのに私は全く気付いていませんでした。チャマちゃんママの話では、K君は最初に会った時から私に気付いていたそうです。しかし、直接会話を交わしても私が全く気付く様子がないこと、いつもマスクをしているので顔の下半分が見えないことで、絶対そうだと思いつつも切り出すことが出来なかったのだとか。

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フレンチブルドックのチャマちゃん。

早く言ってよ〜!

私は凄くびっくりしました。何度も会話を交わしたチャマちゃんのパパさんが元同級生のK君だったなんて!しかも彼は最初から気付いていたのに、私は全く気付いていなかったなんて!

それにしても30年も経っているのに、K君はよく私のことを、そして私の顔を覚えていたものだなと思います。私とK君は小学校も中学校も同じ学校でしたが、同じクラスになったのは中学2年生の時だけです。特に仲が良かったわけでもなく、あまり会話をした記憶もありません。

出身中学の近くに住んでいるのだから、近所に元同級生が住んでいる可能性はあるのですが、私には今も連絡を取り合う中学の同級生はおらず、高校や大学はともかく、中学の同級生の顔はあまり思い浮かぶこともありませんでした。なので、もしかしたら誰か同級生とすれ違っているかもしれませんが、私は今のところ一人も気付いたことはありません。

それにしてもK君、私に気付いたなら早くそう言ってくれればいいのに〜!

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チャマちゃんと遊ぶピリカ。

犬が運んできた再会

昨日はチャマちゃんとママさんだけでお散歩に来ていたので、K君との再会で盛り上がることはありませんでしたが、きっと近いうちにまたK君に会うことでしょう。

次にK君に会ったら私を覚えていてくれたこと、30年も経っているのに私に気付いてくれたことに対してお礼を言いたいと思います。しかも目鼻立ちはあまり変わらないとしても、大人になって化粧をするようになり、髪型も雰囲気も変わっている私に良くぞ気づいてくれたものです。主人はこの再会にとても驚き、「世間は狭いな〜」と唸っていました。

この再会はピリカとチャマちゃんが運んできてくれたご縁です。

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ピリカと遊ぶチヤマちゃん。私達にもとてもフレンドリーです。

 卒業アルバムをみると・・・

家に帰ってから、夫と2人で中学の卒業アルバムを開いてみました。3年生の時は私とK君は違うクラスだったので、それぞれ別のページに写真が載っています。卒業アルバムに写る私は、肩より少し長いおかっぱヘアで、今より少しふっくらした顔にはニキビができています。夫は、かなり雰囲気が変わっていると言い、それでも気付いたK君の記憶力と眼力に驚いていました。今の私はストレートのロングヘアで、中学生の頃より5kg以上体重も少なく、化粧と加齢で自分でも随分変わったと思います。

普段チャマちゃんはママさんがお散歩させているので、K君に会うのは少し先になるかもしれません。でも、私は次に会える日を今からとても楽しみにしています。

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