2、夫からの提案
毎朝私はマリモの骨壷の前にお水とヨーグルトを供え、手を合わせてマリモに謝罪していた。骨壷の後ろには元気だった頃のマリモがクリクリの目でこちらを見ている。もう一度初めからマリモとの生活をやり直したいけれど、この子はもう戻っては来ない。マリモが居なくなって、我が家は火が消えたような寂しさに包まれるようになり、緊急事態宣言が解除されても、私達は殆ど外出しなかった。
マリモと暮らした642日間は本当にあっという間に過ぎてしまった。マリモは腎不全末期の苦しみから解放されて、今は自由に走り回っているだろうか。人見知りで私と夫にべったりだった子だ。寂しがっていないだろうか・・・。
マリモが居なくなってしまって、今更ながらその存在の大きさを思い知った。たとえ重篤な病気を抱えていても、ほぼ寝たきりの状態になってしまっていても、マリモは大切な私達の一人娘であることに変わりはなく、生きているだけで温かい光のような存在だったのだ。
思い出されるのは最後の姿ばかり
あっという間に過ぎたマリモとの日々には、もちろん楽しいことや嬉しいこともたくさんあった。夫と二人、初めてお迎えした仔犬ちゃんのお世話に悪戦苦闘しながらも、スクスクと成長していく姿を眺めることはこの上ない幸せな時間だったし、腎不全が発覚してからも、昨年11月に急激な悪化を迎えるまでは、近場のみとはいえ一緒にお出かけしたり、家で楽しく遊んだりしていたのだ。しかし、今思い出されるのは最後に「ママ、ママ」と必死に縋りつこうとした姿ばかりだった。
マリモ用にペット仏壇を買ったものの、その小さな骨壺を仏壇にしまうことができず、マリモの骨壺はいつまでもリビングのケージの上に置いたままになっていた。本来は49日で骨壺を仏壇に入れるつもりが、どうしてもそんな気分にはならない。骨壺の後ろにある写真の中のマリモと目が合うたびに涙が溢れた。
初盆
そうこうしているうちにマリモの初盆がやってきた。このあたりで骨壺を仏壇に入れてあげなくてはと思い、やっとの思いで骨壺をペット用仏壇にしまうと、小さなお供えと花を仏壇の周りに飾った。そしてお盆が終わり3回目の月命日の日に、夫から「もう気持ちを切り替えて、次の子を迎えよう。」と提案された。
夫は「マリモのことは今もすごく可愛いし、我が家の大切な子であることには変わりはないけれど、もう悲しんでいてもあの子は帰ってこない。新しい子を迎えて前をむこう。」と語りかけてきた。
夫の気持ちは私にも理解できる。しかし、私は直ぐには夫の意見に賛同できなかった。マリモが亡くなってからまだ3か月しかたっておらず、骨壺もやっと仏壇に収めたばかりだ。私はまだまだ次の子をお迎えする気分ではないし、そんなに早く次を迎えたらマリモが可哀想なのでは・・・。
勿論、仔犬が来たらまた家の中が明るくなるだろう。でも闘病ばかりで僅か2歳で亡くなったマリモを思う時、新しい子を迎えてしまうとマリモを1人で過去に置き去りにするような罪悪感が湧いてくる。
マリモにとって私達は生涯唯一の家族だった。その家族が僅か死後3か月で新しい子を迎えてしまったと知ったら、マリモは淋しがるのではないだろうか。もっともっと時間を掛けて死を悼み、弔ってあげたい。しかし、私の気持ちを聞いても、夫の新しい子を迎えたい思いは抑えきれなかったようで、その後も私に隠れてヨークシャーテリアのブリーダーと仔犬を探していた。