まりも日和

先天性腎臓形成不全による重度の腎不全のため、2歳と18日で虹の橋へ旅立った愛犬「まりも」について綴った「まりも物語」(腎不全と闘った642日間の記録)と、2020年8月に我が家にやってきたおてんば娘「ぴりか」の成長記録「ぴりか日記」、ハンドメイドについて書いた「Atelier Marimo」、その他夫婦二人生活の日々の出来事や思うことを綴ったブログです。

チーちゃんの葬儀 ~15年間ありがとう~

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棺代わりのバスケット。安らかな顔のチーちゃん。

チーちゃんの葬儀 ~15年間ありがとう~

11月1日にチーちゃんの葬儀を終えました。葬儀は母の希望で5月にマリモの葬儀を行った斎場で行われました。

当日、私は朝から実家に向かい、お昼に斎場の車がお迎えに来るまでの間にチーちゃんへの手紙を書き、斎場に持参するための荷物を準備したりしていましたが、傍らに佇む母はただただ泣き崩れて、時折冷たくなったチーちゃんの顔を撫でていました。

7歳の時に癲癇と胆石が見つかったチーちゃんは、それでも投薬を受けながら元気に暮らし、ご近所さんにも大変可愛がられた子でした。チーちゃんが亡くなったことは、以前から物凄く可愛がってくれていたお向かいのおばさんにのみ知らせてありましたが、訃報を知ったご近所さんが次々にお花を持って最後のお別れに来てくれたので、チーちゃんが横たわっているベッドの周りはまるでお花畑のようになっていました。

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2008年頃、実家にて。

チーちゃんの葬儀

お昼過ぎに斎場の車が迎えに来て、私と母は斎場へと向かいました。斎場までの道のり、母はチーちゃを愛用の毛布でくるんで大切に抱え、一言も発することなく小刻みに肩を震わせて泣いていました。

元気な時は3kgあったチーちゃんはやせ細って1.6kgまで体重を落とし、本当に小さく小さくなって棺代わりのバスケットに安置され、母と私はチーちゃんの周りにお花や好きだった食べ物、そして私の結婚式でチーちゃんが着たドレスを置きました。

母は相変わらず一言も発することなく小さく震え、立っているのがやっとという様子でしたが、私は悲しいもののマリモの時のように慟哭することはなく、思ったよりも穏やかな気持ちで葬儀に臨むことができました。

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母の布団にもぐるのが大好きだった

2歳で絶命したマリモ、天寿を全うしたチーちゃん

マリモは生まれながらに死を免れない重篤な疾患を抱えており、生後9か月で余命宣告を受けた後、200回に及ぶ通院で懸命な治療を行うも、僅か2歳と18日で絶命しました。

その最期は呼吸困難になりとても苦しそうで、獣医さんは「ママさんの必死の看病と通院のおかげで、マリモちゃんが本当に苦しんだ時間は他の腎不全の犬に比べて凄く短かった」と言ってましたが、苦しんだことに変わりはなく、私はいたたまれない気持ちでいましたが、チーちゃんの死はあくまで天寿を全うしたものです。

その最期は急激に老化して痩せ衰えていったものの、少しずつ歩けなくなり、目も耳も聞こえなくなっても毎日大好きな母の傍らに座り、食欲も最後の最後までありました。そして最後は母に抱かれて全く苦しむことなく眠るように逝きました。

母を元気にする使命を負って実家にやってきたチーちゃんは、その役割を立派に果たしました。そして母に浴びるように愛情を注がれてご近所さんにも可愛がられたチーちゃんの生涯は、犬としてはとても幸せだったのではないかと思います。

だからマリモを亡くした時のような激しい胸の痛みはなく、15年間母の良き相棒であってくれたこと、たくさんの楽しい思い出を残してくれたことに対する感謝の気持ちを持って葬儀に臨むことができました。

チーちゃんは今、小さな骨壺に入って実家に戻ってきています。チーちゃんにはマリモに作ったものと同じ素材で骨壺袋を作るつもりです。チーちゃんの骨もペット霊園に納骨はしません。母が生きている限りは家に置いて、母がお墓に入るときに一緒に納骨する予定です。

チーちゃん、15年間ありがとう!これからもお母さんを見守っていてね。マリモちん、チーちゃんと仲良く虹の橋で待っててね!

今後はピリカの成長記録とともに、チーちゃんの思い出についても書いていこうと思います。

 

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