まりも日和

先天性腎臓形成不全による重度の腎不全のため、2歳と18日で虹の橋へ旅立った愛犬「まりも」について綴った「まりも物語」(腎不全と闘った642日間の記録)と、2020年8月に我が家にやってきたおてんば娘「ぴりか」の成長記録「ぴりか日記」、ハンドメイドについて書いた「Atelier Marimo」、その他夫婦二人生活の日々の出来事や思うことを綴ったブログです。

チーちゃんの思い出:1、父とのお別れ さよならの挨拶

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お散歩を終えて休憩するチーちゃん。首のバンダナは私の手作り。

1、父とのお別れ  さよならの挨拶

チーちゃんはたくさんの思い出を残してくれたけれど、中でも絶対に忘れないのが父の初盆での出来事だ。

私は父の初盆で実家に帰っており、夜になって送り火のお線香をもってチーちゃんと母とご近所を回った。そして家に帰ってきて私がリビングでテレビを見ていると、ソファーで横に座っていたチーちゃんが急に立ち上がった。

チーちゃんは玄関に向かって駆け出し、玄関とリビングの間を行ったり来たりしながらしきりに私の方を見て、玄関に来るように訴えかけた。私は誰か来たのかと思って急いで玄関に向かったけれど、そこには誰もいない。

しかし、チーちゃんは誰かに向かって尻尾を振り、大歓迎で迎えていた。そして私にも「居るよ!居るよ!」と言うふうに合図を送ってくる。私は暫しその場に佇んだけれど、やはり何も見えない。私がポカンとしている間もチーちゃんは大興奮で誰かに尻尾を振っている。まさか父が帰ってきた?チーちゃんには父が見えている?

その様子を暫く眺めた後で私は確信した。父が帰ってきて、今私の目の前にいるのだ。私はチーちゃんに「お父さんがいるの?」と尋ねた。チーちゃんは「そうだよ!お姉ちゃんのパパだよ!」という顔で、尻尾フリフリで何度も私の顔を見る。私はチーちゃんの顔をじっと見つめた。チーちゃんは父を見たことが無い。しかし今、誰もいない玄関で誰かを大歓迎しているチーちゃんには父が見えているとしか思えない。

でもその姿は私には見えないし言葉を交わすこともできない。父は亡くなったのだ。その時私は父はもう居ないのだということを初めて強く感じ、身体の奥底から涙が込み上げてきた。

私がその場に泣きながら立ち尽くしていると、チーちゃんはリビングの窓際に走った。そして窓に前脚を掛けてずっと何かを見ている。その時は既に雨戸は閉まっていて、窓の外に何も見える筈がない。

でもチーちゃんは窓の外の何かを見ていた。窓の外には駅に向かう坂道があり、いつも私が帰る時にチーちゃんは玄関で別れた後、窓から姿が見えなくなるまで見送ってくれた。今もチーちゃんは私には見えない父を見送っている。かつて小さかった私が出勤していく父の背を見送ったように。そして父はきっと何度も振り返って笑顔で手を振っている。チーちゃんは暫く雨戸の閉まった窓を見つめた後、リビングのソファーに戻ってきた。

父は心筋梗塞を起こしての突然死だった。亡くなった日の朝も普通に朝食を食べて新聞を読み、着替えて出勤しようと外に出て車に乗った所を心筋梗塞が襲った。車の中にいたために誰も父が倒れたことに気づかず、車窓にもたれて動かない父に気づいた通行人が、不審に思い通報してくれた時には父は既に事切れていた。

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お散歩中のチーちゃん。2011年頃

その死があまりに唐突だったからか、私にはあまり父が亡くなったという感覚がなく、瞬く間に終わった葬儀やその後の処理でも、自分の父親のものだというより親戚の葬儀の手伝いに行った気分で、初盆を迎えても何となく実感が沸いていなかった。

でもこの時、父が帰ってきたのだと気づいた時、私はやっと父はもう居ないのだということを悟り、涙が溢れた。そして私が泣いている間、チーちゃんは静かに私の横に寄り添っていてくれた。

そこへちょうど入浴を終えた母が来て、私が泣いていることに驚き、何事かと尋ねてきた。私がこの数分間の出来事を語ると「チーちゃんにはお父さんが見えたんだね。お父さん、さよならを言いに来たんだね。」と言った。

父親似の子供だった私

私は子供の頃から極端に父親似の娘だった。すれ違った人が「ププッ」と笑うくらい似てる顔に父親譲りの左利き。父の地元に行けば、名乗ってもないのに私を父の娘と認識して声を掛けてくる人がいた。

父は「判子で押したよう」と形容されるほど自分にそっくりな私をそれは可愛がっていたが、やがて父と母は別々に暮らすことになり、母と一緒に暮らしていた私と会う回数は少なくなった。その上思春期以降は衝突することが多く、大人になって独立してからは会う機会はさらに少なくなった。父は私に気立ての良い優しい娘に育ってほしいと願っていたが、私は理屈っぽくて独立心の強い、およそ父が望まぬ娘に成長した。それでも父は私を心配していたのだろうか。いつまでも父が亡くなった実感が無い私にさよならを言いにきたのだろうか。

あの時、チーちゃんが父に気づいてくれて本当に良かった。私の子供時代に実家で犬を飼ったことは無かったけれど、父は犬が好きだった。今頃はチーちゃんを抱っこして「あの時はありがとうな!」とお礼を言い、チーちゃんを撫でているような気がしてならない。

チーちゃんには、私の花嫁姿を見ることなく逝った父に、結婚式の話をたくさん聞かせてあげて欲しい。そして父には、チーちゃんが父亡き後の母を15年間懸命に支えてくれたこと、私の結婚式ではリングドッグの大役を務めて大いに盛り上げたことをたくさん褒めてあげて欲しい。

 

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