まりも日和

先天性腎臓形成不全による重度の腎不全のため、2歳と18日で虹の橋へ旅立った愛犬「まりも」について綴った「まりも物語」(腎不全と闘った642日間の記録)と、2020年8月に我が家にやってきたおてんば娘「ぴりか」の成長記録「ぴりか日記」、ハンドメイドについて書いた「Atelier Marimo」、その他夫婦二人生活の日々の出来事や思うことを綴ったブログです。

今週のお題「大人になったなと感じるとき」(2)

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2001年、西オーストラリアの海。

今週のお題「大人になったなと感じるとき」(2)

こんにちは 。

今日は一昨日に続き、今週のお題「大人になったと感じるとき」について書きたいと思います。

嘔吐が止まらず脱水症状に陥った夜

また、別の時には嘔吐が止まらなくなって脱水症状を起こし、真夜中にホームステイ先の女性を呼び出し、病院に連れて行ってもらったこともありました。

その時、私は既にホームステイを出て別の場所に住んでいましたが、ホームステイでお世話になった女性(アネット、当時50代)は私を娘のように可愛がり、常に「何か困ったことがあったら連絡するのよ。」と私に言い、時々順調に生活できているかと連絡をくれたり、家に夕飯に招いたりしてくれていました。

ある朝、私は目覚めた時からなんとなく身体が重く吐き気がすると感じていましたが、とにかく仕事があるのでそのまま出勤しました。当初は少し経てば吐き気は自然と治まってくるだろうと思っていたのに、全く治まらず、むしろどんどん悪化して水を飲んでも吐くようになりました。

これではさすがに仕事にならないので会社は早退し、ミネラルウォーターを買い込んで帰宅すると横になりましたが、吐き気は全く治まりません。当時一緒に暮らしていたシェアメイトは2歳年上のイギリス人女性でしたが、彼女は当時、キャンプに出かけていて明後日まで戻らない予定でした。

私はどうしたものかと途方にくれ、何度も洗面台と寝室を往復しながら嘔吐を繰り返し、最期には洗面台の下で横たわりひっきりなしに襲ってくる吐き気に胃液を吐き続けていました。そうして何時間が過ぎたでしょうか。だんだん意識が朦朧としてきた時、私はアネットに助けを求めるしかないと思い、這って寝室に戻って携帯電話を手にしました。

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西オーストラリアの観光名所「ピナクルズ」

真夜中に掛けたSOSの電話

アネットに電話を掛けると、かなり長い時間呼び鈴が鳴ったあと、アネットが電話に出ました。私は気分が悪いから助けてほしい、病院に連れて行ってほしいと言いたのですが、もう言葉がまともに出ません。必死の思いで「Help me!」と繰り返すと、アネットは「何かあったのね?今、私に家に来てほしいのね?」と言い、「直ぐに行くから玄関の鍵を開けておきなさい!」と言って電話を切りました。

電話が切れてから、私は玄関まで這って行き鍵を開けてそこに横たわってアネットの到着を待ちました。到着したアネットは、玄関で動けない私を見てただ事ではないと悟り、私の荷物からパスポートや傷病保険の保険証を探し出し、私を抱き起すと車に乗せて病院の救急窓口へと急ぎました。

そして病院到着後、医師の診断を受けてから吐き気と脱水症状を改善する点滴が打たれ、他にも何本か注射を打って、何とか帰宅できるようになったのは朝の6時。病院の会計窓口ではアネットが私の代わりにパスポートや保険証を持って色々と書類を書き込み、手続きをしてくれました。

私を家に送り、そのまま出勤していったアネット

そして私を家に送りベッドに寝かせると、そのまま出勤する羽目に。家に戻った私はそのまま眠りに落ち、次に目覚めたのは、夕方になって私の食事を作りに来たアネットが玄関のチャイムを鳴らした時でした。

吐気も止まり、少し元気になった私が改めて電話の通信歴を見てみると、私がアネットに電話を掛けたのは夜中の12時半。平日のそんな真夜中だというのに、私のSOSを受け取ったアネットは、車を走らせて助けに来てくれたのです。

私は申し訳ない気持ちでいっぱいになり、済まなかったと何度も謝罪しましたが、アネットは笑顔で「いいの、いいの。まだ寝ていなさい!」と言って、ホームステイしていた時に私が大好きだったジャガイモとポロネギのスープをたっぷり作って行ってくれました。そして「また困ったことがあったら、いつでも電話するのよ!」と言い残して帰っていきました。

多くの大人が差し伸べてくれた暖かい手

オーストラリアに暮らす間、この運転手さんやアネットだけでなく、私は本当に多くの人に助けられました。アネットは仕事探しを始めた私の身許引受人についても快く引き受けてくれましたし、アデレードの通訳翻訳学校の先生は卒業後、「これからは先生と生徒ではなく、あなたの友人だから」と、いつも惜しみない援助の手を差し伸べてくれました。そしてそんな素敵な大人達からいつも言われていたのは、「困ったことがあったら直ぐに連絡するのよ!」でした。

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2000年頃 ホームステイ先からほど近いビーチで。

 「困ったことがあったら、直ぐに連絡するのよ!」と言っている私

あれから20年の時が過ぎて、私は職場で留学生インターンの指導役のようなこともするようになりました。彼女たちは当時の私と同じ20代前半の女の子達で、私のように大した語学力もなく渡航した人間と違い、日本の大学院に留学してくるだけあって本当に日本語が上手い。優秀な子達なので大概のことは一人で解決してしまいます。

でも、そんな彼女たちに私は「何かあったら直ぐに連絡するのよ!」といつも言っています。これまで連絡が来たのは、食中毒やインフルエンザなどの体調不良に陥った時ですが、そんな時、私は彼女の家まで行って病院に付き添い、勝手に野菜スープなど作り置きして、体調がある程度戻るまでは毎日連絡を取ることにしています。

そうして彼女たちをサポートする時、私はいつもあの運転手さんやお世話になった人達を思い出しながら、私も少しは良い大人になれたのかなと考えたりします。

大人とは

 「大人になる」とはどんなことか。人の数だけ答えがあると思いますが、私にとって大人になるとは、オーストラリア生活で出会った人達の様に、困っている人に惜しみなく手を差し伸べられる人間になることなのかもしれません。

私は今、職場では留学生たちにインターンと指導役という立場で接していますが、職場を離れたらあくまで彼女達の「Friend」として付き合うようにしています。そして彼女達の留学とインターン生活が、少しでも実りあるものになることに貢献できたらいいと思っています。若き日の、無鉄砲で怖いもの知らずだった私に差しのべられた、多くの暖かい手を私も差し伸べられる大人でありたいと思いながら。

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