まりも 31回目の月命日
こんにちは。
最近、ブログ更新の間隔が空いてしまって、月に2回ぐらいしか更新していません。せめて週1回は更新したいところなのですが・・・。
早いものでもう今年も終わりですね。明日からはピリカをトレーナーさんに預けて、私は再び札幌に行きます。
思えば今年の後半は何度も札幌と横浜を往復し、様々な手続きに追われ、特に10月以降は義父からの電話以外にも包括支援センターやケアマネージャーさん、ヘルパーさんからしょっちゅう電話がかかり、毎日電話ばかりしていたように思います。
私がそんな落ち着かない状態の中でも全く動じず、色々な意味で逞しくマイペースを貫くピリカには感謝しています。
マリモの31回目の月命日
今日はマリモの31回目の月命日です。
マリモが旅立ってからの2年半、ピリカをお迎えして、Atelier Marimoを始めて、パパが単身赴任になり、私は頻繁に札幌に通うようになり・・・。改めて考えるとかなり変化に富んだ月日でした。
そう考えると、マリモが居たころはまだ札幌に足しげく通う必要もなく、パパも毎日家に帰ってきていたので、マリモの通院を中心にした生活ができていたことは良かったと思います。マリモは今、色々と変化の激しい生活を送る私たち一家をお空から見守っているでしょう。
毎日元気いっぱいに走り回り、お友達と遊んでいるピリカを見ていると、マリモもお空でお友達と元気に遊んでいてほしいと願わずにはいられません。
マリモと過ごした冬
マリモは2歳で旅立ってしまいましたから、一緒に過ごした冬は2回。しかも2年目の冬には既に連日点滴に通い、マリモの足には点滴用の留置針が常に刺さっている状態で迎えましたから、一緒に楽しく年末年始を過ごしたのは最初の年だけでした。
2年目の冬、マリモが遂に腎不全の末期に入り、点滴を続ければ少しは元気が戻るものの、血液検査の数値はほとんど改善されなくなり、私は病院で泣いてばかりいました。マリモが旅立ったのは5月、初夏の肌寒い日だったのですが、前年の11月に尿毒症になり、静脈点滴に連日通う生活が始まったせいか、マリモと病院に通った日々と言えば、寒かった冬を思い出します。
マリモは嘔吐してしまう回数も増えて、食事も以前のように食べてくれなくなりました。そのうえ、年明けには誤嚥性肺炎になってしまうなど容態がなかなか安定しませんでした。連日のようにスリングに入れたマリモを抱え、病院に通った日々は今も良く覚えています。
最初の年、マリモをお迎えして4か月で迎えた年末年始の我が家は、まだまだマリモフィーバーの真っただ中。特に夫はマリモにサンタの衣装を着せて、自分もサンタの帽子をかぶり、大人とは思えないはしゃぎようでした。しかしその1年後には既にマリモは腎不全末期。その次の年末を迎えることはないということは誰の目にも明らかで、私は人目も憚らず、病院で泣いてばかりいました。
それでも翌年5月にマリモを見送った後、8月にはピリカをお迎えして、再びにぎやかな冬が戻ってきた我が家。ピリカは何の問題もなく元気いっぱいに育ち、怪我一つなく3回目の冬を迎えます。
毎日マリモの仏壇に手を合わせるときには、お転婆ピリカが怪我をしないよう守って欲しいとお願いしているので、きっとマリモがピリカの近くで守ってくれているのでしょう。もしかしたらピリカの運動量が多すぎて、もういい加減にしてほしいと思っているかもしれませんね。
札幌で過ごす年末年始の予定が・・・
本来であれば12月下旬からピリカも一緒に札幌に行って、年末年始は義父の家で迎えるはずでしたが、義父宅の片づけが終わらず、今年の年末年始は横浜で過ごすことになりました。これからも札幌に通って片づけと部分的にリフォームを進め、GWごろにはピリカも札幌に連れていきたいと考えています。
ピリカを飛行機に乗せるのはちょっと怖い気もしますが、逞しいピリカのこと、きっと初めての飛行機も乗り越えてくれるでしょう。公園で遊ぶお友達のミニチュアシュナウザーちゃんとポメラニアンちゃんもママさんが北海道出身なので、毎年お盆とお正月には飛行機に乗って一緒に帰省しています。
マリモは行くことのなかった札幌の旅。ピリカが元気に義父と対面できるよう、マリモにはお空からしっかりサポートしてほしいと思います。