まりも日和

先天性腎臓形成不全による重度の腎不全のため、2歳と18日で虹の橋へ旅立った愛犬「まりも」について綴った「まりも物語」(腎不全と闘った642日間の記録)と、2020年8月に我が家にやってきたおてんば娘「ぴりか」の成長記録「ぴりか日記」、ハンドメイドについて書いた「Atelier Marimo」、その他夫婦二人生活の日々の出来事や思うことを綴ったブログです。

まりも物語:37、最後の日(2)~犬の腎不全末期・闘い抜いた642日間の終わり~

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私の膝で甘えるマリモ


37、最後の日(2)~犬の腎不全末期・闘い抜いた642日間の終わり~

幸い業者の倉庫へは全く迷わずにつくことができた。もうすぐ13時になる。早くレンタルしてマリモを迎えに行かなくては。しかし私と同じように今日中にレンタルしたい人たちが何組か待っていて、かなり待たなければならなかった。

事前予約して宅配で設置してもらう人が殆どなのだろうと思っていたけれど。考えてみればかなり切羽詰まった状況でない限り、ペット用の酸素ボックスなどレンタルしないだろう。皆、急に必要な事態になって、大急ぎで借りに来ているのだ。しかも営業時間が短いことが混雑に拍車を掛けていた。

14時少し前に私の順番が来て、受付を済ませると組み立て方や使用方法についての簡単なレクチャーを受けた。そして機材一式を借りてタクシーを呼ぶ。ここから我が家までは車なら1時間弱で着くだろう。夫には家が近づいたら連絡することになっている。

急げ!急げ!急げ!!

14時半を少し回ったところでタクシーに乗り込み、一路我が家を目指した。マリモ、待っててね。直ぐにお迎えに行くからね!ママが絶対にお家に連れて帰るからね!

タクシーが出発すると、事情を何も知らないタクシーの運転手さんは、このコロナ禍でタクシー業界がいかに苦しんでいるかを切々と話しかけてきた。私も普段であれば話すのは嫌いではないけれど、今日はそんな余裕はない。深刻な話に適当に相槌を打ちつつ、心の中で叫ぶ。急げ!急げ!急げ!!

約1時間後の15時半に家に着いた。タクシーから機材一式を下して夫と二人で大急ぎで組み立てると、しっかりと作動しているかを確認する。私は病院に酸素ボックスを設置したことを連絡し、16時の午後の診療開始と同時にマリモを迎えに行った。

午前中に病院を出たのが11時を少し回ったころだったはずだから、結局マリモを5時間も待たせてしまった。「ごめんね、マリモ。今お迎えに行くからね。」電話を切ると、私は病院に向かった。

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パパっ子だったマリモ。

マリモを家に連れて帰る

病院につくと、高濃度酸素室に横たわっていたマリモは帰るために診察台の上にのせられた。相変わらず肩で息をして衰弱が激しい。今までどんなに重篤な状態に陥っても、病院の診察台ではしっかりお座りしていたマリモが、支えてもらわないと後脚から崩れ落ちてしまう。

医師は、「苦しそうですね」と言い、その後は特に何とも言い難い表情をしていた。私はマリモをバスタオルを敷いたキャリーバッグに気を付けながら寝かせ、会計を済ませると病院を出た。

家では夫が待ち構えていた。二人で気を付けながらマリモを酸素ボックスに移す。酸素ボックスの中にはマリモがいつも寝ていたベッドを入れてあった。マリモは苦しそうに息をして、これまでと同じように時折上体を起こそうとする。上体を起こした方が息をしやすいのだろうか。であれば上体を起こしておけるよう手を添えてあげたいが、直ぐに伏せてしまうので無理に上体を起こすことも躊躇われる。

マリモは家に帰ってきて少しは安心しただろうか。「もうママもパパもずっと一緒にいるからね。ママはもうマリモを置いて行ったりしないからね。」そうマリモに言い聞かせながら、酸素ボックスの窓から腕を入れ、マリモの体を撫でる。

夫も傍らで心配そうにマリモを見ていた。酸素ボックスはしっかり機能しているようだけれど、マリモはとにかく苦しそうだ。夫がボックスよりマスクの方がいいのではと言って、酸素マスクをマリモの鼻にあてた。

しかし、酸素マスクをしてもマリモは苦しそうにしている。どうにか少しでも楽にしてあげたい。少しでも眠らせてあげたい。少しでも安心させてあげたい。しかしどうにもならない。ただ声をかけ続け背中を撫でること以外に、私達にできることは何もなかった。その痛々しい姿に涙が止まらない。

お別れの時

そんな状態がしばらく続き、19時半を回って私達が軽い夕飯をとり終わった頃、マリモの容態が急変した。身体が痙攣しだしたのだ。私は大慌てで病院に電話を入れた。夫が必死にマリモに酸素マスクをあてて背中を擦っている。しかしマリモは私が電話をしている間に大きく一度痙攣すると、そのまま息を引き取ってしまった。

逝去というより絶命という言葉が合うような最後だった。遂に私達が愛してやまなかったマリモは、僅か2歳と18日の短い生涯を閉じてしまった。私は泣きながら何度もマリモの名を呼んだ。傍らでは夫がマリモに手を合わせた後「マリモちん、よく頑張ったね。よく頑張ったね。」と声をかけ、優しく体を撫でていた。

そして脚に刺したままの点滴用の管を外すため、痙攣した時の四肢を伸ばしたままの状態でいるマリモを病院に運んだ。病院では医師が待っていて、マリモの身体を拭き、口の中に詰め物をしたり、死後の身体をととのえてくれた。

それから数十分後、夫と二人、冷たくなったマリモを抱えて家に戻ると、私は声をあげて泣いた。最後の日、私は酸素ボックスを取りに行って5時間近くもマリモを病院に置き去りにした。しかしマリモはその後4時間半で亡くなってしまった。結局、家で過ごせた時間よりも病院で私を待っていた時間のほうが長くなってしまった。

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マリモはママに置き去りにされたと思っただろうか。多分とても心細かっただろう。きっと高濃度酸素室の中で「ママ、ママ」と必死に呼んでいたに違いない。在宅勤務だった夫に半休を取って酸素ボックスを取りに行ってもらうこともできたのに、あの時私は自分で取りに行くこと以外考えていなかった。

どうしてずっと病院で付いていてあげられる方法を考えなかったのだろう。最後になんて可哀想なことをしてしまったのだろう。私は明け方まで泣いた。

 ※まりもの名前は本来ひらがな表記ですが、文中では読みやすいようにカタカナにしてあります。

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