まりも日和

先天性腎臓形成不全による重度の腎不全のため、2歳と18日で虹の橋へ旅立った愛犬「まりも」について綴った「まりも物語」(腎不全と闘った642日間の記録)と、2020年8月に我が家にやってきたおてんば娘「ぴりか」の成長記録「ぴりか日記」、ハンドメイドについて書いた「Atelier Marimo」、その他夫婦二人生活の日々の出来事や思うことを綴ったブログです。

まりも物語:まりも 2回目の命日 ~あの日から2年~(3)

2020年5月10日。旅立つ8日前。
まだしっかりと歩いていました。

まりも 2回目の命日 ~あの日から2年~(3)

こんにちは。

今日は前回に引き続き犬の腎不全、特に腎不全末期について書きたいと思います。

<腎不全末期:様々な選択>

愛犬が病気になるとその治療において、飼い主は様々な選択を迫られます。特に末期になると難しい決断を迫られることが多くなるでしょう。

マリモの腎不全末期、私は食事をしないマリモに強制給餌を行うべきか、最期に苦しむようなら安楽死を選ぶべきなのかと考えたことがありました。

結果として、私は強制給餌はおろか最後は投薬さえも中止してしまいました。もっと頑張って食事も投薬も続けるべきだったのかも知れないと思うことは今もあります。しかし、私は強制給餌で吐き戻すマリモを見ていることができず、投薬も口内炎であちこちから出血する口腔を見て止めることにしました。なのであくまで食べられそうな物を切らさないように食器に並べるに留め、マリモ が嫌がることはしない道を選びました。

また、安楽死については実際の治療では選択することはありませんでしたが、事前に医師に相談して詳しく聞いておいたことは良かったと思っています。

振り返ってみても、愛犬の闘病生活ではいきなり決断を迫られることは本当にたくさんありました。実際の選択はともかく、ある程度予備知識をつけて自分なりの方針を持っておくことはいざというときにとても大切なのではと思います。

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<お別れの時>

投薬を止め、強制給餌もせずに点滴だけを続けた日々は、それなりに穏やかに過ぎて行きました。もうお散歩にも出なくなったマリモは自分のベッドではなく私達が使っているベッドに上がりたがり、夜も一緒に眠りたがるようになりました。今にして思えばもう別れが近いことを感じていたのかもしれませんね。

そして数日後、突然始まった呼吸困難から回復することなくマリモは旅立ちの時を迎えました。

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その呼吸困難は本当に突然始まりました。お昼過ぎに私が買い物に出たときは普段通りベッドで横たわっていたマリモが、帰ってきてみると苦しそうに息をしています。これは尋常ではないと気が動転しながら病院に向かいました。

この日の夜、私はマリモを入院させるべきかどうかとても悩みました。高濃度酸素室にいたマリモは呼吸が落ち着いてきたように見えましたが、やはり連れて帰るのは不安です。しかし、医師から「これだけ衰弱していると夜のうちに息を引き取るかもしれない。」と言われ、私はマリモを連れて帰ることにしました。

この時連れ帰ったことは正しかったのかと今でも考えることがあります。マリモは一晩中、一睡もできずに苦しそうな呼吸をしていました。私は必死に背中をさすりましたが、やはり高濃度酸素室の方が体力の消耗を防げたのではないかと、そんな考えか今もずっと頭の中には残っています。

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そして最期の日、私は何としてもマリモを家に連れて帰ることだけを考えて、マリモを病院に残して酸素ボックスレンタル業者の倉庫に向かいました。今にして思えば夫に午後半休を取って代わりに行ってもらえたら、マリモにずっと付いていてあげられたのに、とにかく絶対にまりもを連れて帰ると、ただそれだけを考えて病院を飛び出しました。

その後、家に酸素ボックスを設置してマリモを迎えに行き、最期は家で看取れましたが、病院を出ようとする私に「行かないで!」と必死で脚を伸ばしてきたマリモの姿を忘れることはありません。迎えに行った時、高濃度酸素室で横たわっていたマリモは微かに身体を起こして私を見ましたが、連れて帰るために抱っこした時にはもう目を閉じでおり、夫が撫でた時に微かに目を開けた以外は最期の痙攣の時まで目を開けることはありませんでした。

マリモは家に帰ってきて安心して旅立ったと思いたいですが、あれだけ衰弱して目を閉じた状態では、もう何も解らず、病院に置いて行かれた記憶が最期の記憶になったかもしれない思うと今も胸が痛みます。

後になって調べると、犬が腎不全末期に肺炎になったり肺水腫になるなは決して珍しいことではありませんでした。もっと事前に末期の症状やレンタル業者のことなども調べておけば、もっと冷静に対応できたのではと悔やまれてなりません。

あれから2年

マリモの旅立ちから2年が過ぎてしまいましたが、一緒に暮らした日々は今でもしっかり覚えています。もうすぐ虹の橋での生活の方が長くなってしまうマリモは、きっと今も暴れん坊ピリカを見守ってくれていることでしょう。辛かった闘病生活を終えて虹の橋へと旅立ったマリモ。虹の橋ではどうか楽しく幸せに、そして次回は必ず健康な体に生まれてくることを、夫と二人、いつまでも祈っています。

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まりも物語:まりも 2回目の命日 ~あの日から2年~(2)

2020年5月8日。大好きなパパに抱っこされて。

まりも 2回目の命日 ~あの日から2年~(2)

こんにちは。

今日は前回からの続きです。元々、犬の先天性腎不全について書き残さなければと思い書き始めたブログです。マリモの旅立ちの日から早2年が過ぎたのを機に、もう一度犬の腎不全について、今回はマリモの腎不全発覚から通院生活、療法食、症状の進み方についてお話したいと思います。

腎不全発覚後、マリモは毎週2回の皮下補液を受け、食事の際にはクレメジン(毒素吸着剤)と漢方薬2種類を飲むことになりました。通院生活や治療法、マリモが食べた療法食については下記の記事にまとめてあります。

marimotan.hatenablog.com

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その後にも改めて腎不全の治療法や食生活についてまとめた記事もあります。こちらは同じように先天性腎臓形成不全を患う犬と暮らす飼い主さんからのリクエストで書いた記事です。「まりも物語」が実際に腎不全の犬と暮らす飼い主さんの参考になったことは嬉しいことでした。

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また、私自身はマリモに食べさせる機会は無かったのですが、もし知っていたらきっと食べさせていたであろう療法食が帝塚山ハウンドカムの療法食です。因みにこちらは療法食以外にも色々なフードやおやつが売っているのでピリカの食事用に時々利用しています。

www.houndcom.com

<突然の尿毒症>

このようにして毎週の皮下補液と投薬を欠かさなかったマリモですが、腎不全発覚の10か月後に重度の尿毒症に陥り、腎不全末期に突入しました。そこからは皮下補液ではなく静脈注射での治療になり、頻度も週3~4日、具合の悪い時には毎日に変わりました。脚には留置針が刺さったままになりましたが、マリモは本当に良く耐えてくれたと思います。

その頃の私はと言えば、マリモが必死に耐えているというのに急激な悪化に狼狽えて泣いてばかりいました。全く不甲斐ない話ですが、そんな頼りない飼い主の私にもマリモはいつでも優しく、泣いていると膝に乗って涙を拭くように顔を舐めてくれました。

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そして懸命に通院を続けるも、確実にマリモの症状は進んでいき、翌年2月には一時絶食に陥り、とうとう余命宣告を受けてしまいました。私はそれまでにも増して狼狽えてばかりいましたが、マリモは奇跡的に食欲を回復させ、遂に私の悲願だった2歳の誕生日を迎えたのです。

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私はマリモの腎不全が発覚し、3歳まで生きるのは難しいだろうと言われた時から、2歳までは絶対に死なせるものかと思いながら通院を続けてきましたし、マリモにも「2歳までは絶対に頑張ろうね!」とよく言っていました。だからこの時の奇跡的な回復は、マリモがママとの約束を守ろうと最後の力を振り絞ってくれたのだと思っています。

もう血液検査の数値的にはいつ旅立ってもおかしくないほど悪化していたのに、マリモは頑張って私の悲願だった2歳を無事縫迎え、その18日後に旅立って行きました。頑張ってくれたマリモには感謝しかありません。

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先天性腎臓形成不全ではあるものの、順調に成長し、皮下補液も投薬も欠かさず、体調は安定しているように見えていたマリモ。あの突然の尿毒症までは元気も食欲もあり、体調が悪化しているようには見えませんでした。

でも、どんなに元気があっても腎不全は確実に進行していたのです。しっかり通院させていれば症状の進行はある程度止められるだろうと考えていた私は、自分の考えの甘さを痛感しました。

末期に入ったマリモの治療は、これまで以上に頻繁な通院が必要になるだけでなく、様々な答えの無い選択をすることになります。

次回は腎不全末期における飼い主の選択について書きたいと思います。

 

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まりも物語:まりも 2回目の命日 ~あの日から2年~(1)

2020年5月2日 2歳を迎えたマリモ。この18日後に旅立ちました。

まりも 2回目の命日  ~あの日から2年~(1)

こんにちは。

今日はマリモの2回目の命日です。2年前の今日、2歳と18日の短い生涯を閉じたマリモ。あれから2年も過ぎたなんて信じられない気分ですが、おてんば娘のピリカが来月には2歳を迎えることを思うと、確かに2年の月日が過ぎたのだと実感します。

現在1歳11か月のピリカを見ていると、同じぐらいの月齢だった頃のマリモをどうしても思い出してしまいます。やっと2歳を迎えたところだたマリモは、本来であれば今のピリカ同様にまだまだ元気いっぱいの若い犬で、ピリカほどではないにしてもママを振り回すお転婆娘になっていたことでしょう。

思えばマリモが居なければブログを書くこともありませんでした。マリモの闘病記録を残さなければと書き綴った「まりも物語」がこのブログの始まりです。あまり症例がない先天性の腎臓形成不全。同じ症状の犬と暮らす飼い主さんに少しでも参考になる情報になってくれればと思い、書き始めました。

マリモの2回目の命日である今日は、マリモの生涯と腎不全の症状について振り返って行きたいと思います。

<誕生から腎不全発覚まで>

2018年5月2日に誕生したマリモは8月17日に我が家の子になりました。ちょっと臆病で我が家に来た日はケージから一歩も出ず、ベッドの中からこちらを見ていたマリモ。ヨーキーの赤ちゃんらしく顔も体も真っ黒な毛に覆われて、少し長めの尻尾だけフリフリしていました。その後新しい環境に慣れてくると、リビングを走り回ってはゴミ箱をひっくり返して歩くお転婆娘に変身し、夫の座布団を占領してヘソ天で鼾をかいて眠るようになりました。でも、今にして思えばこの頃から不穏な気配は漂っていたのです。すくすく育つマリモの姿は私達夫婦にとってこの上ない癒しであり宝物でしたが、そんな毎日にも腎不全の兆候は表れていました。

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代表的な腎不全の症状に多飲多尿・食欲不振があります。マリモは毎日元気に過ごし、体重も順調に増えて行っていましたが、とにかく食が細く、私は毎回食事には本当に苦労しました。それに当時はそれが異常な量だとは思っていませんでしたが、マリモは毎日大量にお水を飲んでいました。

今も悔やまれるのは、飲水量の異常はともかく、マリモのこの異常な食の細さを好き嫌いのようなものだと思い、あくまで躾の問題として、医師ではなく犬の訓練師さんやしつけ教室などに相談してしまっていたことです。マリモは体も大きく元気な子で、ワクチン接種の際に医師から痩せすぎだと指摘されても、成犬になれば食欲も落ち着くだろ思っていた私はあまり深刻には受け止めていませんでした。

しかし、2018年の12月にお泊りトレーニングを受けた際に、トレーナーさんからまりもの飲水量と尿量が異常であることを指摘され、一度詳細な検査を受けるよう勧められました。

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そして、年が明けた2019年の1月、避妊所術時の血液検査でマリモの腎不全は発覚します。

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マリモの腎臓形成不全が発覚し、3歳を迎えることはほぼ不可能であることを知った時、私は顔が痛くなるほど泣き、食の細さを躾の問題と捉えてしっかりと検査を受けさせていなかったことを強く後悔しました。腎不全は治ることはありません。進行を完全に止めることさえできず、進行を遅らせることしかできない病気です。マリモの場合は先天性の腎臓形成不全だったこともあって生後9ヶ月だというのに既に腎不全の第3期に差し掛かっていました。

もう今更どうにもなりませんが、マリモが我が家の子になり、食の細さに悩んでいた時に検査を受けさせていれば、もしかしたらマリモはもう少し長く生きられたかもしれないと思うと今も悔やんでも悔やみきれない思いです。

犬って本当に余程のことが無い限り元気です。マリモも腎不全末期に差し掛かるまではお散歩も欠かさず、旅立つ一週間前まで外を歩きたがりました。それにマリモはドッグフードはあまり食べませんでしたがオヤツ類は大好きでしっかり食べていました。だからどこかで変だと思いつつも「元気だし・・・」と深く考えなかったのですが、これは本当に大きな誤りだったと思います。

もし今、原因も思い当たらないのにピリカの食が細くなったり飲水量が増えたら、私は迷わず徹底的に検査を受けさせますし、同じように多飲多尿、食欲不振が見られるワンちゃんがいたら、一度しっかり調べてもらうことを切にお勧めします。

次回は通院生活、療法食について振り返ってみたいと思います。

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ぴりか日記:停電の夜

夜、膝の上でまったりするピリカの写真を夫に送った数分後に停電が起こりました。

停電の夜

こんにちは。

今日はせっかくの週末だというのに雨降りで、ピリカ様はちょっとご機嫌斜めな感じです。最近雨が多いですよね。超小型犬とはいえ運動量の多いピリカはあまり外出できないと家の中を走り回って大変です。一応ピリカが走っても大丈夫なようにリビングや廊下にはマットが敷き詰めてありますし、スペースも区切ってありますが、やはり目を離すと危険なので出来れば外で思いっきり遊んで家では休憩してほしいものです。

停電

昨夜、我が家の周辺は地域一帯60,000戸以上が約7時間停電する大規模な停電がありました。夜の10時半頃、そろそろピリカを寝かせようかと思っていたら、突然すべての電気が消えて辺りは真っ暗に。急いで窓際に行ってカーテンを開けましたが、周囲も全ての電気が消えて完全な暗闇です。雨の夜なので月明りもなく、家の中は本当に真っ暗でソファーでウトウトしているはずのピリカも見えません。

手探りでソファーの上を探しましたがピリカはそこにはおらず、こんな時に何処に行っちゃったの?と思いながら「ピリカ!」と呼んでみると、足元で「ワン!」と声がしました。見るとそこには微かに光るクリクリの二つの目。ピリカは電気が消えた後、直ぐに私の足元に来ていたようです。

とにかく明かりをつけなければと、スマホ画面の微かな明かりを頼り歩いて、リビングのランタンを灯すとやっと部屋全体が見えるようになり、ちょっと落ち着いたところで夫に電話すると、避難用のリュックサックに防災ライトと、ヘッドライトが入っていると教えてくれました。

夫に色々聞きながら避難用リュックの中を見てみると、確かに充電式ライトとヘッドライトがあります。取りあえずヘッドライトを付けてみましたが、これが中々の優れ物。とっても明るくて一気に部屋全体が明るくなり、しかも頭につけられるので両手が自由になります。これでやっとピリカを抱き上げることが出来ました。

そうこうしているうちに近所の家から続々と人が出てきて、外が騒がしくなってきました。私もピリカを抱きかかえて外に出ると、マンションの別の部屋からも人が続々通路に出てきています。停電だから当たり前ですが、近所のコンビニも信号機も何もかも電気が消えてしまっているので本当に真っ暗。皆さん口々に大地震が来たわけでも台風が来たわけでもないのにいきなり停電したことに驚いていました。

ご近所付き合い

我が家のマンションはペットOKの賃貸なので犬を飼っている人がたくさんいます。そして犬を通じて住人同士の交流があります。今回は大災害ではなく単なる停電でしたが、急に真っ暗闇になった時にはかなり焦りました。でもご近所さんとお話ししたことで気分が落ち着きました。

お隣さんは「何かあったら直ぐに声かけてね!」と言ってくださいましたし、色々キャンプ用品を持っているご夫婦は、ランプや懐中電灯など足りないものは無いか聞いてくださったり本当に心強い限りです。これもひとえに愛嬌抜群でご近所の皆さんにとても可愛がられているピリカのおかげですね。昨夜は本当にピリカ様さまだと感じました。

お隣の柴犬君と仲良しのトイプードルちゃんと。ピリカがフレンドリーな子で良かった。
犬たちの反応

停電に際し、犬たちの反応は本当に色々でとても興味深い物がありました。ピリカは電気が消えると直ぐに私の足元に来て、そのままずっとぴったりくっついて一緒にいましたが、お隣の柴犬(6歳)は何事もないかのように座布団に座ったままだったそう。外がうるさくなってきて、玄関まで様子を見に来ましたが直ぐに部屋に戻ってしまいました。また、別の階に住むワンコ達は、停電時には既に眠っていて外が騒がしくなっても全く起きなかった子、停電した瞬間からワンワン吠えて、外が騒がしくなると興奮して暴れた子など反応は様々だったようです。幸いピリカは大騒ぎすることも無く、部屋に戻ってからは直ぐに寝落ちしてしまいました。

備えは大切

今回は唯の停電で災害に遭ったわけでは無いですが、それでも結構焦りました。避難用リュックもあるのは知っていましたが、中身を見たことが無く、夫に電話で色々聞きながら中を探しましたが、平日は一人ですし災害時は電話は通じないでしょうから私がちゃんと中身を把握して使い方を知っておかないといけませんね。

お勧め防災用品

そして今回一番役立ったのがヘッドライト。これは万一私が夜にピリカを連れて避難するようなことがあった時に、両手が使えるようにと夫が避難用リュックに入れておいたものです。避難用リュックを買った時にセットで入っていたライトもありますが、移動するときに手に持つ必要が無く、両手が自由になるヘッドライトの方が便利だなと思いました。

ヘッドライトは明るいですし、避難時にも両手が使えるので便利です。

日本に住む限りいつ災害に見舞われるかは分かりません。昨夜は唯の停電でしたがこれがこれが大地震だったらかなりパニックになったことでしょう。我が家はそこそこ防災用品は揃っていますが、これを機に防災用品をもう一度見直し、避難用リュックの中身もしっかり把握しようと思いました。

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ぴりか日記:ピリカのGW 2022

パパが帰ってくるといつも凄く嬉しそうな顔をするピリカ。パパを駅までお迎えにいった帰り道、ご機嫌な顔でパパを見つめていました。この笑顔にパパはメロメロです。

ピリカのGW 2022

こんにちは。

GWはいかがお過ごしでしょうか?

我が家のGWは今日でお終い。4月29日から始まった我が家のGWでしたが、私は2日が仕事、夫は4、5日が仕事であまり休みの日が合わず、明日からは普段の生活に戻ります。コロナが始まって以降初めての行動制限無しのGWはどこも混みそうだし、休日もかみ合わないしで、結局私とピリカの2人で友達の家に遊びに行った以外、今年もGWはあまり出かけずに終わりました。

でもピリカは大好きなパパといっぱい遊べて楽しかったようです。いつも通り近所の公園や住宅街の合間をお散歩するだけでも、凄く嬉しそうな顔で歩いていました。

パパと一緒ならどこでも楽しいよ!
お友達と元気に遊ぶ

昨年のGWもお友達とたくさん遊んで過ごしたピリカですが、今年もた〜くさん遊んで過ごしました。時々一緒にお出かけするトイプードルのリヤンちゃんと近所のお寺までお散歩したり、いつもの公園でボール遊びをしたり、雨の日以外、夕方のお散歩では毎日走り回ること1時間以上。これだけ走れば痩せるかと、私は結構期待していたのですが、そうそう甘く無いですね。ぜ〜んぜん痩せませんでした(−_−;)。

リヤンちゃんとお散歩。牡丹の花がきれいでした。

公園にはいつもよりたくさんのワンコが来ていて、初めて会う子も何匹かいました。ピリカは大型犬にも負けずに元気に走り回り、ボールを奪い合い、おやつを貰い、初対面のワンコにはせっせとお腹を見せてアピールし・・・。ピリカにとってはお出かけするより何よりパパが帰ってきて、いつもの公園でいっぱい遊べる方が楽しかったのかな。

おやつの争奪戦では大型犬にも負けません。しっかりいい子アピールしておやつゲット!
初対面のワンコにはお腹見せてアピール。
左:仲良しのヨーキー、ジルちゃんと草の上でまったり。
右:アメリカンコッカーースパニエルのルーク君とボールの奪い合い。
ママと小田原にお出かけ

今回のGW唯一の遠出だった友人宅訪問。小田原在住の友人の家まで行き、友人宅でお昼を食べて小田原城に遊びに行きました。行きは混雑を避ける目的で藤澤経由で東海道線に乗りました。新幹線は大混雑だろうからと東海道線にしたのですが、東海道線も熱海行は大混雑。通常の車両ではちょっと辛そうだったのでグリーン車に乗りましたが、グリーン車もほぼ満席でした。ピリカが騒がないかちょっと不安だったのですが、移動中はキャリーバッグの中でちゃんと大人しくしており、約1時間の行程も殆ど吠えることなく、無事に友人宅まで行かれました。

初訪問のママのお友達の家。興味津々です。

ピリカは初めて訪問するお家で大興奮。友人が事前にピリカがイタズラしそうなものは全て隠しておいてくれたので、心置きなくお部屋を探検して回りました。そしてお昼を食べたら友人の車で小田原城へ。

初めての小田原城。人もワンコもたくさん居てピリカは大ハッスルでした。

小田原城址公園はあまり広くはありませんが、ワンコを連れてお散歩ができます。普段はあまり混まないところですが、GWは人もワンコもたくさん来ていました。ピリカはあちこちを興味津々で歩き回り、出会う犬たちにせっせとお腹を見せて、とても楽しそう。私は久々に会う友人とゆっくり話せて良い気分転換になりました。帰りは小田原駅から新幹線に乗りましたが案の定満席。自由席の通路に立ったまま新横浜まで帰り、私は疲れましたがピリカはキャリーバッグの中で気持ちよさそうに眠っていました。

友人たちと共に年齢を重ねて行かれる幸せ

40代も後半を迎えた今、付き合いの長い友達の存在はとても大切だなと感じています。今回遊びに行った彼女とは19歳で知り合ったので、かれこれ30年近い付き合いになります。その後お互い大学を卒業し、就職し、結婚し、私はオーストラリアに渡り、彼女は2人の子の母になり・・・。色々な紆余曲折を経た今もお互いの家を行き来できる友達がいてくれることに心からありがとうと言いたいです。

コロナが始まって以来、なかなか会えずにいる人が多いですが、いつかまた気兼ねなく出かけて、家族のとこ、仕事のこと、過去の思い出話etc・・・。楽しく話して盛り上がれる日が来てほしいです。

そして、来年のGWこそはピリカを連れて、少し遠出をしたいなと思います。

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